便宜上、恐子さんとでも言っておこうか。
 本日、恐子さんから俺の下駄箱宛てに二通目の脅迫状が届いた。




―― 健全な男子高校生の付き合い方 ――






 脅迫状と呼ぶには聊か乱暴な気もするが生憎、他に適切な表現が見つからない。内容としては「先輩から離れろ」とか「いちゃいちゃすんな」とか、極めつけが本日届いた「このガチホモ、キモイ」である。可愛らしい丸文字の女子高生が言うには少々似つかわしくない、汚い言葉である。どうやら当校の後輩らしい恐子さんは、俺の相棒――こと花村のことが好きらしい。

「悠さんはイイですねー、オレみたいにがっつかなくても女の子からちやほやされて羨ましいぃ、キィッ!」

 なんてわざとらしくすがり、大袈裟な泣き真似をしていたが何だ、本人が気づいていないだけで意外にもてているじゃないか。
 一見はラブレター仕様――と、言うか恐子さん以外から脅迫状は頂いたことは無いので当然、そう思う――の封筒をくるりと裏返してみたが当然のことながら、差出人の名はない。脅迫状以外のカードは入っていないかと興味本位で逆さに振ってみたが、それ以上は何も入っていなかった。
 ふむ、好意で差し出される恋文には、もれなくバステが付与される差し入れが入っている時があるが。倣い、脅迫状を送るくらいなら、恨みつらみを込めて研ぎ石で研ぎまくった鋭利な剃刀くらい入っていたっていいのではないだろうか。

「おっはよー! って、またまた貰っちゃったの〜?」

 相変わらずモテモテだね、この色男! という言葉を共に背中に強い衝撃――千枝だ。足技程ではないが流石、格闘マニア。手の平と言えど威力が半端ない。よろめく俺の横を颯爽と駆け抜けていく。

「知らないだけで皆、貰っているさ」
「えーっ、そうかなぁ? そんなことないっしょ」
「そんなもんだよ」

 背中が手形くっきりにヒリヒリ痛むのをおくびにも出さず、千枝に会釈を返しつつ、他の目に触れぬ内にカバンの中に封筒を押し込む。実のところ、脅迫状を送られてしまう程、恨まれる理由がよく分かっていない。



 最初は悪戯、もしくは、投函違いだと解釈し、潔く無視した。が、二回目となれば流石に勝手が違ってくる。よく分からないが対策は講じるべきだろう。

「そういう訳で、明日からお前に弁当は作ってこないことにした」

 離れろと言われたので、まずは校内での接点を少なくすることから始めるとしよう。そう当該人物に告げると、厚焼き玉子を嬉しそうに頬張り、咀嚼していた花村の表情が真顔で固まった。

「えええええええ、突然なに? そういう訳ってどういう訳! つか、オレ、お前に何かした!? もしかしてこの前、制服に涎垂らしちゃったこと怒ってる!?」
「アレは不可抗力な上に、ジュネスにあるクリーニング屋の無料券で手をうっただろうが。そうじゃなくて元々、俺の料理上達のためにお前を巻き込んでいただけに過ぎないから、そろそろ辞め時かな、と」

 ガタンと大袈裟な音を立てて椅子から立ち上がった花村に少々驚きつつも、ありきたりな答えを返す。急に「何故」とは言われると思ったが、ここまでうろたえられるとは予想外だった。
 普段は屋上で広げている昼食だが、今日は生憎の雨模様のため、弁当持参組みの連中に混じり教室で取っていたため、ギャラリーの注目が一斉に集まる。視線の槍に「お食事中、失礼しましたぁ〜」と小さく縮こまり、花村が静かに椅子に座り直した。

「あぁ、そっかそっか。元々は菜々子ちゃんのために始めたことなんだっけ」
「そう、当初の目的は十分、達成された。これ以上、お前が付き合う必要は無い。今まですまなかった」

 叔父さんが不在がちで、内心寂しがっている菜々子に温かい手作りのご飯を食べさせてあげたいという気持ちから始まったことだった。けど、誰にも何も言われなければ、きっと自主的に続けていたんじゃないだろうかという言葉は呑みこむ。

「すまなかった、って……相変わらず、堅苦しいなぁ。そこは有難うって言うべきだろーが」
「ありがとう、花村」
「って、素直すぎるっつーのっ!」

 有難うという言葉がこそばゆかったのか、陽介は顔を赤くしている。顔を隠すようにベーコンで巻かれたウインナーを一つ取り、一口で頬張る。

「てかマジ、オレの方が感謝したいくらい。こんなにすんげぇ旨い弁当、毎日、作ってきて貰っていたなんて。最初は味気ねーなってこともあったけど、今となっちゃ上達過程の良き思い出だよな。つか、その味気ないものだって里中達が作った物体エックスよりは数百倍も食えたものだったし」

 後半、ボリュームは抑えられたものの、地獄耳は聞き逃さなかったらしい。背後から「うっさい、花村っ!」と空き缶が飛んできて、カコーンと頭にクリーンヒットする。蹲る花村……とても痛そうだ。

「本来ならオレ、買い弁組みだからな。お前が作ってくれなきゃ今頃、惨めに一人寂しく焼きそばパンをちみちみかじっていたぜ」

 早々に立ち直った陽介にしみじみと感謝される。素直に感謝されることは嬉しいのだが、この流れは。嫌な予感がして断ち切ろうとしたが、もう遅かった。

「なぁっ! 無理を言っているのは承知で、今後も作ってきてくれね? な、一生のお願いだあああああああ!!」

 お前の飯の味、忘れられないっ!
 毎日毎日、同じ定番メニューしかない学食じゃあ、青春を謳歌する花盛りの男子高校生にはもたねぇんだよぉ〜と泣きを入れられ、両手をパンッと合わせて「このとおり!」とお願いされてしまう始末。
 困った、思っていたよりも陽介を餌付けしていたようだ。だが、カバンの中にある脅迫状の存在が見えない圧迫感を齎し、ここで折れてはいけないと警告を発する。

「花村、俺の弁当を評価して貰えることはとても嬉しく思う。だが――」

 言い淀みかけたが、今後の陽介のことを思ってのことだ。はっきり、きっぱり言い放つ。

「もし、お前に好意を抱いてる子が居て、機会を伺っていたらどうする? いつまでも俺の弁当に固執していると、折角のチャンスを不意にすることになる。良い機会だ。それに、ずっと一緒に居られる訳でもないのだし」

 そんなつもりはなかったがお弁当の件だけでなく、接触の機会も減らした方がいいんじゃないかというニュアンスまで含めてしまった。自分にしては珍しい失態をしてしまった。らしくない。しまったと思ったが、時既に遅し。
 陽介の表情が固まり、やがて落胆に崩れた。

「そっか……そうだよな。分かった。悪かったな、今まで」
「いや、悪かったとかそうじゃなくて……」
「ごめん。オレ、用事思い出したから。メシ、今日のも旨かったよ。有難う」

 ほんの一瞬だけ崩れた表情を繕うように陽介が無理矢理に笑う。礼を言うと、席を立ち、何処かへと行ってしまった。笑顔の裏に隠された寂しげな表情が心に突き刺さり、ヒビが生じる。

 けど、これが陽介にとって最良なんだよな、きっと。

 ヒビからもやもやした霧状のものが立ち込め「じゃあ自分にとっては?」という不安に駆られそうになるのを見ない振りする。ご飯を摘んでいた箸を止めて、どんより雲の下、ザーザーと降りしきる雨粒の数々を窓枠越しに見つめた。






「おー、相変わらず鳴上の弁当は見た目も華やかで食欲そそるな〜」

 あれから。
 何となく陽介とは折が合わなくて、その日の放課後は勿論、次の日の昼食の時間も別々に過ごしていた。
 前はこれぐらい当たり前だったのに、突然ぽっかりと開いた虚無に自分でもどうしていいのか分からない気持ちに焦れる。意識していなかったが、陽介と同じ時を長く共有しすぎていたようだ。

「一条の弁当に比べたら」
「家柄に恥じない弁当を持っていけとの当主の計らいでな。つか、恥ずかしいっつーの。ただの仕出し弁当なのによっ。こうっ、愛情が感じられん!」

 一人では心細く、お弁当両手にぽけーっとしていたところ「何してんだ?」と隣クラスであり、同じ部活動メンバーでもある一条に同席を誘われたのだ。一条の前には重厚な黒箱の弁当が置かれている。一条自身は恥かしそうに箱を制服の袖で隠し隠し手をつけていたが、普通はあるまじき弁当の姿に周囲はとうの昔に馴れたらしく、好奇の視線を投げるものは一人として居なかった。

「オレからすればどっちのも旨そうなんだけどな」
「お前はしょっちゅう俺の弁当、無断でつまみ食いしているだろうが……」

 必ず一条とワンセットと呼ばれるぐらい一緒に居る長瀬、何故かジャージ姿。前後に体育はないようだが。そもそも長瀬の制服姿をそういえば見たことがないことに今更ながら気づいた。

「しかし、今日は花村と一緒じゃないのか? アイツ、休みだっけ?」
「いや。ただ、単に別々に食べているだけだ。不自然か?」
「他の奴らならそう思うけど、お前等だと思えないかも」
「一条と長瀬もそう思われているんじゃないか?」
「嬉しかないけど、そうだろうなぁ」

 素直に認められてしまい、少々呆気に取られる。いや、羨ましいくらいだ。恐子さんの存在が無ければ、自分とて疑問に抱くこともなく、ずっと陽介と一緒に行動を共にしていただろうけど。恐子さんが憎いわけでも、恨めしい訳でもない。ただ、釈然と自分の気持ちに整理がつかないのが気持ち悪くて仕方なかった。

「腐れ縁ってやつかな……いつの間にか作られていて、いつの間にかふっと無くなる縁みたいな。お前等だって似たようなもんだろ?」
「そう……なんだろうな、そうだよな」
「ん? 納得しているようには見えないぞ。何かあったのか、鳴上」

 焼きそばパンを頬張っていた長瀬が口元のカスを拭いながら話に参戦する。先まで長瀬の目の前にあった食堂のおばちゃん特製巨大焼きそばパン、既に姿形が無くなっているようだが、もう食べ終えたのだろうか。

「花村が好きだという後輩が現れてな。四六時中、一緒に居ると私が立ち入る隙がないじゃないですかと言われたんだ」

 流石に女の子に脅迫されたとは言えなかったので多少、脚色しておいた。

「だから遠慮して花村と離れてるのか。何だか大変だなぁ……つか、おかしくね?」
「あぁ、自分なら誰と構わず、空気も読まず、話をしたければ突進するのみ! だ」
「お前はKYすぎる、空気を読め……」

 一条が呆れる横で、長瀬がひょいっと黒箱からエビフライを取り、あっという間に口の中へと消える。蛇みたいに噛まずに丸呑みか?

「四六時中ってのも大袈裟。校内だけだろ? しかも男同士なんだからベッタリしている訳じゃあるまいし。変な遠慮なんぞせず、さり気なく割って入って、告白でもなんでもすりゃいいんだ」
「ベッタリ……」

 一条の台詞を反芻する。ベッタリ、ベッタリ……。
 しょうが焼き――花村の好物だ。食べてもらえる訳じゃないのに、身体が勝手に作っていた――を口に含みながら、もしかしてと思い当たる節があり言葉にしてみる。

「抱き枕……ってベッタリか?」

 食の合間にお茶を呑んでいた一条が突然、噴き出した。

「林間学校の時、やむにやむ終えない事情によりそのように夜を明かしたところ、花村がすっかり癖になってしまってな。昼食を終えた後、大抵花村は午睡モードに突入するんだが、バイト疲れが溜まっているらしく寝ぼけて抱きついてくるんだ」

 いや、起きている時でも人肌が恋しいとか言っては擦り寄って来たり、暇を持て余しては猫のごとくじゃれ合い、時にはここ気持ちいいだろーパートのおばちゃんに好評なんだぜとマッサージして貰ったり、エトセトラエトセトラ。

「それって……男子高校生として健全じゃ、ないのか?」

 げへんごほんがはんと凄い勢いで咽始めた一条の姿に至極、不安になる。
 都会に居た頃は短い期間で転校を繰り返していたせいか友人と呼べる人間は居なかったし、そもそも同級生と密接に関わろうとはしなかった。誰もが皆、偏差値を競い合うライバル、蹴落とせるものは蹴落とし、上に上がる――競争社会の渦中に居た。
 此処に来てから、距離を置く以外の人との関わり方を知ったようなもの。どんな時でも陽介の様子はいつもと変わらなかったし、友達なら極当たり前の触れ合いなのだろうと信じていたのだが。現に千枝と雪子とて似たような雰囲気の時がある。これが当たり前ではないのか?
 が、暗雲立ち込め始めた心模様は一瞬にして晴れ渡る。一条の黒箱半分を賞味し終えた長瀬の出番によってだった。

「そーいう事情はあまり詳しいとは言えないが、適度なスキンシップだとオレは思うぞ。スポーツマンシップに溢れる男同士の友情に近い」

 グッと親指を立て、キラキラと光るドヤ顔をして見せる長瀬の横で、一条が椅子ごと後ろに倒れる。

「長瀬はそう思うか。が、一条はそうじゃなさそうだ」
「案ずるな。一条はオレとの会話の最中もしょっちゅうこうなる。家のこととかで神経すり減らすことが多く、繊細故に敏感なだけだ。心配することじゃない」
「そうか」

 断言する長瀬の言葉に安心するのと同時に恐子さんの登場により、揺らいでいた気持ちがほんの少しだけ落ち着くのを感じる。ほっとした途端、空腹感を思い出し、手付かずだったタコさんウィンナーを口に運ぶ。菜々子に塩を振らせたがいい塩加減だ。流石、俺の自慢の妹。

「ボケ二人にツッコミ一人は辛すぎる。責任取りやがれ、花村ぁ」

 誰に向けることなく教室の天井に放たれた一条の恨み節は、昼飯を黙々と食べ続ける俺や長瀬の耳に入ることなく、虚しく空に溶けた。



***



 悠の胸の中に顔を埋めて寝ると、仄かな太陽の香りがする。
 堂島家では朝洗濯をし、天気が良ければ悠と菜々子ちゃんの二人で仲睦まじく、干すのだそうだ。光景がありありと描かれる暖かな空気が、いつもオレを安眠へと誘う筈なのに。

「……眠れねぇ」

 昨日に引き続き、今にも雫を落としそうな黒く重い暗雲。今朝、食パンをひっかけたついでに見た天気予報では「午後から晴れるでしょう」と新人キャスターがにこやかな笑顔と共に言っていたが、これは外れそうだ。
 御天道様でさえ、オレを見事に見限ってくれた。眠いのに眠れない身体をごろんと横に倒す。ひんやりと冷たいコンクリートがじわじわと体温を奪った。

 昼休みになった途端、オレの顔を見ることなく弁当を手に持ち、そそくさと姿を消した相棒。生徒・先生問わない校内コミュニケーションから始まり、バイト先の学童の母親、市民病院のミステリアスナース、夫を亡くしたばかりの未亡人おばあちゃん、果てには守銭奴のキツネにまで及ぶ広い交流関係を持つ相棒。
 オレでなくとも昼の相手なんぞいっぱい居るのだろう。あまりにもそっけない態度に友達関係でさえも終わった錯覚。天国から一変、地獄に突き落とされた気分だ。

「あぁ、マジで辛い……」

 最初から、自分の中に生じていた想いがはっきりと自覚できていた訳ではない。
 確かめたくて、悠の料理上達貢献に乗じて、わざと甘えるようなことをいっぱいしてみた。少しでも悠にしてみたいと思ったら実行してみた。実際にやってみれば嫌悪感が出るかもしれない、普通ではない、おかしいと気づけると思っていた。
 けど、現実は酷く優しく――最後は残酷だった。

「辛すぎる」

 今は厚い雲に覆われて姿を見せない灼熱の太陽。このままでは気まぐれに顔を出したその日に焦がされて、身体中の水分を奪いつくされて、干からびて、死んでしまいそうだ。
 これ程までに悠に依存していたなんて、離れてみるまで知らなかった。まだ、一日経過したかそこらの話なのに、今からこんなんでは先が思いやられる。本当に自分はどうなってしまうんだろう。

「……」

 独り言を発することさえ億劫になり屋上で一人、大の字で転がる。首につけっぱなしのヘッドフォンを耳に上げかけて止めた。好きな曲でさえ聞く気になれない。
 悠に嫌われてしまったのだろうか。うっとおしいと思われたのだろうか。

 常識外れで無茶苦茶なお願いを悠は嫌な顔一つせず、仕方ないなと笑って受け入れてくれた。けど、本当は嫌で嫌で仕方なかったのかもしれない。
 オレのためだと零していたが、忘れるなかれヤツは言霊使いの申し子――体良くあしらわれたんだ、きっと。

『それに、ずっと一緒に居られる訳でもないのだし』

 分かっているさ。でも――鋭く光った刃に柔らかな場所が突かれ、血が滲み出る。
 痛い。痛い――胸の辺りが桐で刺されるみたいに痛い。

 胸を掻き締めたところで痛みは無くなりも、弱まりもしない。思い出す度に痛みは強くなる。
 いつかは一緒に居ることすら叶わなくなる。悠は元々期間限定の居候の身、いずれ自分が居るべき本当の場所へと帰ってしまう。
 分かっている。小学生の時の楽しかった思い出が中学の思い出に上書きされ、高校、大学と過程を進める内に荒んだ社会の荒波に揉まれ、そんな記憶でさえ、いつかは忘れてしまうのと同じ。いつまでも此処に居られる訳じゃない。



 けれど、それでも一緒に居たいと願うのは無知な子供故の我侭なのだろうか?



 思考の果てに、閉じていた瞳を開く。

「何だ……オレ、もしかしなくても」
「花村先輩っ!」

 語尾に重なるようにかけられた可愛らしい声。
 空からピシャーンと雷でも放たれたかのように、身体中の毛が逆立った。突然、かけられた言葉に吃驚したのは言うまでもない。

「え、あ……っと、何かな?」

 数歩離れたトコロで後輩らしき女の子が一人、ちょこんと立っていた。声と同様、外見も小さくて愛らしい。
 うっわー、全然気づかなかった。人の気配には聡い方だと思っていたけど、いつから居たんだろう。ウダウダしている情けない姿を見られた? うわっ、オレって超カッコ悪いっ! だっせーよ、こん畜生!!
 頭を抱えて悶えそうになったが、後の意外すぎる後輩の言葉に静止した。

「付き合って下さいっ!」
「……へっ?」
「私っ、先輩のことずっと好きでしたっ!!」
「はい……?」

 てっきり「ブツブツ独り言いって、気持ち悪いですよ……」とか、お叱りを受けるのかと身構えていたが、返ってきたのは予想外すぎる言葉で。展開のぶっ飛びように頭のネジが吹っ飛んだ。
 えぇと、オレのことが好き? 何かの間違いじゃね? オレ、ガッカリ王子だし。つか、口開いたところを見てないとか?
 告白されて有頂天になっても良いところなのに自虐的な言葉しか浮かばない。前のオレならきっと、自分の悪いところなんぞ差し置いて、花を飛ばして「ヤホーっ! オレにも春がきたー!!」と喜んでいたところだったろうに。

 あぁ、そうか――そうだったんだ。

 認めた瞬間、女の子の背後であり、丁度オレからは真正面にあたる屋上へと続くドアが開かれ、黒く塗りつぶされた空間から見覚えのありすぎる薄灰色の髪を揺らした姿を認める。示し合わせたかのように視線が合った時、はっきり自覚したのと同時に、オレはずっと心の奥で燻っていた想いを何も考えずに声を大にしてぶちまけていた。

「オレさ、好きなヤツが居るんだ」

 たぶん、自分で言うのも何だか、凄く晴れ晴れしい笑顔で告白していたと思う。

「誰とでもすぐ仲良くなる八方美人で、そうでなくてもモテモテで、普段は無表情で冷静沈着。オレなんぞ、足元にも及ばない超人だけど……でも、偶に抜けてて、可愛いヤツ」

 ふわりと身体を包み込んだ風。トンッと背中を後押ししてくれるようでとても気持ちよかった。

「離れて分かった。オレ、アイツが居ないと駄目だ。ずっと一緒に居たい――どうしようもなく大好きなんだ」

 疾風が雲を流す。
 雲間から差した光芒が水分を多く含んだ空気を反射し、キラキラと光る。
 この季節って虹は出るんだろうか――目を焦がす程に強い恵みを手で遮りながら、空を見上げる。

 見上げた空からは清々しい程の青が、天井に広がり始めていた。






「そこに居るんだろ、悠?」
「……」
「ゆうく〜ん? おみみが真っ赤ですよー」
「っ!?」

 慌てて、耳を覆い隠したがもう遅い。

「オレのこと、探しに来てくれたの?」
「ちがっ……! 一条から電話があって、電波が悪かっただけで別に陽介のことを探していた訳じゃっ!!」
「や、あまり必死に言い訳されてもオレっち、マジで凹むから止めて……」

 いつもの屋上、片隅で二人。後輩の女子生徒はオレの返事を聞いて、もう此処には居なかった。背中を向けたまま、こちらを向こうとしない相棒に痺れを切らし、ちょいと意地悪を仕掛けてみる。

「あ〜あ、折角、かっわいー女の子からコクられたのになぁ……」

 こんなオレを好きになってくれたのは嬉しかったけれど、他に気になって気になって仕方がない人が居るのだと断った。
 誰のせいかは先の盛大な愛の告白を聞いていれば分かるだろう? と言葉なく問いかければ、漸くその人がこちらを向く。

「何で断ったっ! 陽介がOKをだせば、それで上手くいったのに。どうして……っ!!」

 見たことないぐらいに顔を真っ赤に染めて、恥ずかしさからか目にはうっすら水の膜が張っている悠の表情が目の前に在る。うっわー、めっずらしい姿。かっわいーとか言ったら、初夏一発目のジオダインで殺されるんだろうな。

「えー、あれだけ聞いても分からないとか言っちゃいますか。鳴上セ・ン・セ・イ」

 嘘だ、分かっている癖に。
 目の前にあるその姿を見れば一発で分かる。

 可愛い後輩のために自分からわざと離れたことも、盛大な愛の告白が誰に向けられたものなのかも、自惚れなんかじゃないってぐらいにお互いのベクトルが向き合っていることも全部、お前の態度、見れば分かるよ。

 クマみたいな呼び方をすれば、ギロリと睨み返され、またプイっとそっぽを向いてしまう。あー、もう別に怒らせたい訳じゃない。
 どちらかと言うと涙目から早めに脱却して欲しかった。その……普段とのギャップが堪らないし、ステップアップしすぎた良からぬ妄想を現実にしたくてウズウズしている自分が居る。

 どうしたものかと頭を掻いてみるが真面目な言葉も、こういう時に限って場を冷え固まらせる冗談ですら見つからない。悠ならこういう時、巧みな話術で場を切り抜けてしまうのだろうなぁ。あまりこういう場に慣れていない不器用なオレでは、逃げないように繋ぎ止めることぐらいしか出来ない。

「っちくしょー。どうすればいいんだよ、悠……」

 だからって本人に聞くのは情けないだろ、自分。
 と、思いつつ零れてしまった言葉は戻らない。あー、悠の可愛らしい姿を見てたら、自分の顔まで熱くなってきた。今頃、ひょっこり顔を出した太陽のせいだと信じたい。いやいや絶対にそうだ。頭の後ろを引っ掻き回しながら途方に暮れたオレに、そんな太陽がカラリと笑った――ような気がした。

「……悪いと思うのなら、誠意を見せればいい」
「へ?」

 誠意、ですか?
 拗ねた子供みたいな態度を見せる悠がチラリとこちらを見て、コクンと頷く。

「本当に好きだって言うなら……態度で示せばいい。きっと相手も……それに応えてくれると思う」

 って、それって遠まわしな――自然と上がる口角。ヤバい、ニヤけ顔が止まらない。
 分かりにくい表現方法だなぁ、お前ってそういうヤツだっけ。あぁ、そうか。素直に自分の気持ちを表現することに慣れていないんだ。自分色ではなく、他人色に染まるばかりで、だからこそ色んな人に好かれる人。
 そんな人が自分にだけ必死に素直になろうとしてくれているのだから十二分に応えなくては。



 とりあえず分かりやすく背中を見せ続ける身体を抱き締めることから始めよう。
 けど、よく考えたらそんなこと、想いを自覚する前からしょっちゅうやっていた。なら――その一歩先をと考えながら、トントンと肩を軽く小突き、静かに振り向いたその顔に。

 薄ピンク色の一番柔らかな場所に、自分のソレを軽く押し付けてみた。



***




『あのさ……無自覚なようだから、はっきり言うけど。お前、花村のことが好きなんじゃないか?』

 同じ校内に居るというのに「面と向かっては話しづらいから」と電話をかけてきた一条。校内では電波が悪く、ノイズが混じっていたため、見晴らしの良い屋上へと扉を解き放った瞬間だった。

 気圧の違いで吹き込んだ疾風、首からヘッドフォンを下げた見慣れた姿と見慣れない女子高生の背中――彼女が恐子さんに違いないと思ったのは直感だった。そこに冒頭の台詞である。バステ受ける以上に混乱するのは当たり前だった。

「なっ!?」
『だーって、ふつーに考えろよ。お前、俺に抱きつかれたこと想像してみ。花村の時と同じ気持ちの持ちようでいられるか?』

 言われるままに想像してみる。
 一条相手なら別に嫌ではないだろう。ただ、嬉しいとは思わないし、きっと「何で?」と聞き返していそうだ。

『だろ? 拒絶の意思がない、不快にも感じないなんて。その時点でおかしいっつーの』

 確かに長瀬の言うスポーツマンシップ的なあつぅい友情も一部ではあるんだろうが、お前らは絶対に違うとか一条は続けていたようだが、途中でプツリと終話ボタンを押す。これ以上、聞いてはいられないと反射神経に近かった。

 客観的に言われ、改めて振り返ったのもいけなかった。
 胸元に顔を埋めて静かに呼吸をする陽介の吐息の温かさだとか、ワイシャツ越しに伝わってくる規則正しい心音だとか――うわぁ、俺なんであんなことしてて、今まで平気だったのだろう。厚顔無恥にも程がある。

 運の悪いことに告白タイム絶賛受付中の陽介と目が合ったのもこの時。
 今更自覚したところで陽介が好きなのは女の子――恐子さんと付き合うこととなればジ・エンド、何もなかったことにしなくてはならない葛藤がごちゃまぜになり、どうしようもなくなった。

 今、此処で起きるであろう事の展開を、ただの相棒として見守らなくてはならない。そして祝福しなければならないのだと思い恥ずかしさに熱くなった顔を隠した瞬間、頬を伝ったのは生温かい雫の感触と、恐子さんの告白に対する陽介の意外すぎる答え――自分に差し向けられた唐突すぎる告白だった。

 馬鹿花村、人の誠心誠意ある告白に対して何だその答えは。
 恥ずかしいったらありゃしない。けれど、涙がもう一滴、風に導かれるように零れていた。






「……」

 梅雨休みの晴れ間の朝。下駄箱を覗いたら案の定、三通目の脅迫状は届いていた。
 やっぱりなと思いつつ開封してみると飛び込んできたのは想定内の言葉と、想定外の言葉が一枚ずつ。苦笑いが零れた。

「バカップル。付き合っていられません」
「これが最後です。笑顔の花村先輩とどうぞ末永くお幸せに」

 私の大好きな人、不幸にしたら許さないんだからとの怨念を有難く受け取りつつ、脅迫状という名のエールをカバンに仕舞い込む。

「おっはー! あれっ、今日も貰ったの?」
「おはよう、里中。熱烈な同じ相手から何通も貰っているだけだよ」
「え、そうなの? だって今日の鳴上くん。何だか、とても嬉しそう」

 てっきり、意中の人からのラブレターでも貰ったんだと思ったんだけどな。
 千枝は駆け抜け際にそう言い、元気良く階段を駆け上がっていく。相変わらず、見た者まで元気にさせてしまうパワフルさ。


 まぁ、確かに……近からず、遠からずってところかな。


 女は鋭いと思いつつ、ニヤけそうになった口元を手で覆い隠す。
 昨日からずっと、あの柔らかい感触をリフレインしているだなんて間違っても、そう――どう間違っても本人にも言えやしない。

 これこそ、きっと。相手はともかく。健全な男子高校生の反応だよな、一条?

 一条への言い訳を考えつつ、静かになった階段へと一歩、踏み出す。
 窓枠から零れる強い太陽の光に、今日も暑くなりそうだと夏の到来を予感させた。








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