※怖い話としてなら1区切りめまで、主花要素が欲しいなら2区切りめまで、何処までも行ってやるぜな漢な乙女は3区切りめまでどうぞ。
※怪談編/かなり未来のお話/ダークシリアス風味










 あれは精霊馬がぽつりぽつりと道端に現れ始めた、盆の始まりのことでした。

「俺が書くの?」
「いつもどーり、お任せっ! オレ、字、汚いし。後世紀にまでミミズの字で書かれた自分の名前なんぞ残したかないし」
「宿帳に記すだけなのに大袈裟な」

 この界隈ではなかなかお見かけしない垢抜けた方たちでしたから、よく覚えております。ここ老舗の旅館でしょう? 常連の方が多いんです。だから、どうしても目立ってまして。
 あぁ、だからって、派手な服装とか流行の芳香をお召しになっているとかそうでは無くて。何と仰ればいいのか。纏っている雰囲気が他の方と異なると言いますか。お二方とも女中、お客様問わず、思わず女性が振り返ってしまうほど目を惹く美丈夫で。オーラが違う、との表現が一番、しっくりと合うと申しましょうか。
 この時期は一般企業の休みとも丁度、重なる時期でしたから先に申し上げたとおり、帰省を兼ねた女性グループや避暑目的の家族客、自治体の旅行のお客様が大変たくさんいらっしゃいました。ですが、そのお二方だけはそのいずれにも当て嵌まらない、高校時代の旧友なのだと仰っていました。

「風呂風呂ー!」
「浴衣、ずれてる。陽介、はしゃぎ過ぎ」
「お前も見ただろ!? 温泉の効能、肩こりによく聞くんだとよ。最近さぁ、移動続きのせいか、肩が凝っちゃって」
「ジジくさい。年だな」
「高二の時から老け顔のお前に言われたか――ふにゃにゃにゃにゃにゃっ!」
「どの口が言ってるんだ、もう一度言ってみろ」

 大変仲が良い方たちでした。
 この時も露天風呂に行こうとされていたんでしょうね。浴衣姿で、子供のようにじゃれあってました。ふふっ、お連れの方の頬、チューイングガムみたいに伸びていらっしゃいまして。赤く腫れて痛そうでしたので、後で氷嚢をお持ちしました。

「たこ焼き、焼きそば……それに、わたあめ、りんご飴!」
「陽介の目がキラキラしている」
「おー、相棒! 射的もあるぞ、射的っ!」
「人の話も聞こえていないようだ」

 数年前から始めた試みでお泊まりの方々のために縁日を催しておりまして。近くの川辺のほとりでやっておりますとお話ししたところ早速、お一方がもう一方の手を引っ張られまして。もう一方の方が呆れながらも、物柔らかな眼差しで見守っていらっしゃいました。

「線香花火っていいよなー、オレ、一番好きかも」
「特大五連発の手持ち花火を持って、これオレがやるやるやるって真っ先に飛び回っていた人間が言う言葉と同じ台詞とは思えないな」
「あれはあれ、これはこれなんですぅー」
「りせの口真似をするな。穢れる」
「何気にひどっ!」

 縁日の福引で当てた花火を開けて、二人で囲みながら。常に寄り添いあい、人目もはばからずに終始、手を繋いでおられました。

「陽介は線香花火のどんなところが好きなの?」
「んーっ、最初は綺麗にパチパチ華やかな火花を散らしてるだろ? で、終盤になるとしゅんしゅんしゅんってなって……最期の最期にまた綺麗に花が咲く瞬間が、さ。何か、儚いっつーか、最期の力をふりしぼったんだなーとか、そんな感じが好き」
「……そう」

 こう言ったら聞こえが悪いと思いますが、とにかく目立つ御方たちでしたので、他の方から奇異の目を向けられるんじゃないかとこちらもハラハラしていたのですが。あまりにも堂々としていらっしゃったせいなのかしら。これといって他のお客様の目に触れることがなかったように見えました。
 まぁ、皆様、折角のお休みを水入らずで訪れていらっしゃる方達ばかり。他人に目をくれず、自分たちの世界に入っていたと言ってしまえば、それまでなのでしょうけれど。

「いやーっ、都会と違って、此処は涼しいな」
「夕涼みだな」
「花火やった後だから、最高に気持ちー!」
「山から下りてきて、川の上を伝ってきた風だから程好く冷たいんだな」
「と、言いながらさり気なく半纏を羽織らせるお前の手際が怖い」
「俺は何処までも紳士ですから」
「オレはレディーじゃねぇよ!?」
「少しは静かにしろ、馬鹿」

 本当に仲睦まじいお二人でした。
 見ているこちらが恥ずかしくなるくらいで。高校の時からの友人という簡単な一言で括って良いのか分からないくらい、親密なお二方でした。

 次の日の朝、お布団を上げに行くとお二人の姿はもうありませんでした。
 机の上にお勘定と宿泊に対する丁寧な礼が書かれたお心のこもったお手紙が添えられておりました。いつ旅立たれたのかは分かりません。けれど、本当に。見ているこちらの心がほっこりと温まってしまうような、不思議なお二人でした。



「私が仲居から聞いた話をまとめるとそのようになります。捜査の参考になりましたか?」

 本来ならば人伝ではなく、直接関わった人たち一人一人から話を伺いたいところだったが今、世間は夏休み真っ只中のお盆――老舗旅館にとって書き入れ時でもあった。繁忙期の合い間を縫って時間を取るなど到底、無理なこと。寧ろ、女将一人と言えど、こうして時間を頂戴出来たことが奇跡とも言えた。
 それに……聴取した内容を手帳に記していた手をふと止め、ペンの頭を唇にあてる。今までの件も踏まえると、ひとりひとりに話を聞いたところで、恐らくこれ以上の情報は期待出来ないだろう。何度となく経験した落胆を隠しながら、笑顔で答える。

「えぇ、とても」

 丁度、鞄の中の携帯電話が震えた。
 画面を指先で弾き、ロックを外すと白い画面が途端に黒く埋め尽くされる。長々と小言が書かれたお叱りのメール――本庁からだ。いつもの恒例行事に「はぁ」と溜息をつきつつも、クローズ。見ない振りをして鞄にしまう。
 本庁からの指示に従わず、迷宮入りの事件を追いかけ続けている負い目はある。いつ疎まれ、左遷されるか分からない。だけど――私に協力すると誓い、力を貸してくれている父の努力を無駄にしないためにも追わない訳にはいかなかった。
 鞄の紐をぎゅっと握り締める。

「あの、立ち入ったことをお伺いしますが二人は……事件の容疑者で?」
「い、いえっ、違います!」

 概要を聞き終え、あとはお礼を言い、立ち去るだけの段階だったため、急に問いかけられて正直、吃驚した。慌てて向き直り首を振ると、女将は何故か安堵の息を吐いた。

「なら……良かったら、私に話してくれませんか」
「え?」
「老婆心ながら捜査、難航していらっしゃるのでしょう? 顔に書いてあるわ。誰かに話すことで整理がつくこともあるから」

 奥ゆかしさの中に少女心を覗かせるような仕草で、女将が着物の裾を上げ、小さく笑う。
 私は逡巡した。捜査で得た情報を一般の人間に漏らすことは原則禁止。ただ、そもそもこれは非公式の捜査と言っても過言ではない。親族ですら……望んでいない、非公式の。

「それに……火曜サスペンスによくあるじゃない。秘湯・温泉女将の名推理☆ なーんちゃて、ね。ぶふっ」
「は、はぁ……」

 形式上の捜査協力が済んだからなのか、女将の意外な一面が垣間見えた。昔からこういった空気の流れを読むのが微妙に苦手だったため、返しは不明瞭になってしまったが、場は和んだように思う。
 私が今、追っている事件は、形の無い霧を掴むような不明瞭なものだった。たぶん、私は自分で思っているよりも疲れていたのだと思う。蝉がしゃくしゃく鳴き終え、飛び立った羽根音を皮切りに、私は事件概要を女将に説明していた。

「最初はただの行方不明事件でした」

 届出があったのは、当該者の妻からだった。
 実家に帰省した夫が、約束した日にちになっても帰ってこず、連絡も取れなくなったとのことだった。

「帰省先の聞き込みで足取りはまったく掴めなかったのですが、届出があった数日後、対象らしき人物が見かけられた――と他管内から報告が上がりました」

 既にもう立ち去った後のことだったが、聞き込みのために現地の警察官を向かわせた。そこで一つの事実が判明した。対象には同伴者が居て、親密に連れ立っていた、と。高校時代からの友人だと話していた、と。

「調べたところ、対象と同時期、同じ場所にやはり実家に帰省していた同級生の男性の方でした。その方の奥様も同じように届出を出されていました」

 一度、足取りが取れてしえば追うのは簡単だと署内に解決ムードが流れ始めた。いずれの親族にも話は伝えられ、ほっとした様子だった。何せ、相手が友人――久しぶりに会い、話が弾んでしまい、ついつい連絡もせず、旅行に行ってしまったのだろう、と。その時まではどちらの親族も和やかに話をしていた。
 だが――事件はまだ、ほんの序章。始まりにすぎなかった。

「二人の足取りを追うと、ある場所でプツリと途絶えてしまったんです」

 此処に来たわ、あっちに行ったわ。
 簡単に追えるのに、ふと消えてしまう痕跡。首を捻るしかなかった。

「そして数日後、まったく別管内で対象の目撃情報が上がりました。そこでもやはり、既に対象の二人は立ち去った後でした。聞き込みを行いました――同じ話しか出てきませんでした」

 その地域の観光名所で、土産物屋で、甘味処で、休み処で。
 いつ、何処で聞いてもまったく一緒、同じ話しか出てこない。高校の時の友人、仲良さげに、笑って、旅行を楽しんでいた、と。

 いつしか一日から十日間の間隔を空けて、対象は物理的に有り得ない距離を移動して各所で目撃されるようになった。こちらの気配を察知し、あざ笑うように訪れた痕跡は残すものの、駆けつけた時には姿がなくて。
 まるで、逃げ水を追うようだった。

「それが――去年から一年、続いています」
「一年……」
「はい。ご親族の方も……かなり疲弊されております」

 私は女将に嘘をついた。既に彼女たちは限界を迎えていたからだ。

『二人とももう死んでいるのよ! 私達は亡霊を追わされているだけなのよっ!!』

 もう捜査なんかしなくていい。死んだ扱いにして頂戴。
 綺麗にネイルアートされた爪は血色を失い荒れ、美しくトリートメントされた緩いウェーブの髪はぼさぼさに、出会った当初優しい面立ちをしていたそれは般若の面をつけた怒りの形相へと変貌していた。髪を振り乱し、尖った爪を机にキリキリとたて、怒鳴るように彼女たちが最後に撒き散らした言葉はそんな言葉だった。
 最初は夫が一緒に居ると互いを心配しあい、励ましあっていた残された者たちは。いつしか、憎しみあい、罵りあい、顔も見たくないと言い出し。どちらともなくそう言い出していた。今は二人とも、それらの治療に長けている病院の閉鎖病棟で長期療養中である。

「私は……二組の、幸せな家庭が壊れてしまった理由を突き止めなければなりません」

 警視庁内も諦めムードが漂い始めていた。
 それどころが酷い噂が立ち始めた。相手が女性だったら、ただの不倫で片付けられたのに。いっそ、死体が上がればいいのに。片隅で呟かれ、何度となく鞄を投げつけてやりたい衝動に駆られたことか。
 ただ、そんな屈辱に耐えてでも私は捜査を続けた。そんな根も歯もない事実に尾ひれつけられ、迷宮入りさせてしまうことの方が許せなかった。

「こんなこと言っても信じてもらえないかもしれませんが……私、今回の事件は二十年前に此処で起きた連続殺人事件と関連性があるんじゃないかと考えています」

 同じ刑事である父の助力の下、我武者羅に捜査した。自分の目で確かめないことには信じられず、私の足で行けるところは行き、何度も何度も念入りに調査した。その結果、たった一つだけ分かったことがある。

「表沙汰にはされていませんが、此処――稲羽市で起きた連続殺人事件の裏には、人が『テレビに入れてしまう』能力が手口で使われた、と供述が残っています。そして、気づいたんです。二人の足取りがいつも宿泊先の部屋の中で途切れること。決まって、その部屋には人が入れる程のテレビ画面があること」
「二十年前の事件……よく覚えているわ。けど、……テレビ…………入れる?」
「えぇ、当時も世迷事として片付けられました」

 けど、もしも。
 物理的に有り得ない距離を移動して歩いている、ということはそういうことなんじゃないだろうか。対象は何らかの理由でその能力を有しており、今回の移動に利用しているのではないだろうか。
 これこそ世迷事。現に上司に報告したところ「捜査のし過ぎで気が触れたか。そんな訳ないだろう」と一蹴りされた。成果が上がらず、捜査打ち切りにさせられそうになった。
 唯一、この推理を頷きはしなかったものの信じてくれたのは定年間近の父。何とか捜査だけは続けさせてもらえるよう、現在進行形で上に掛け合い続けているようだが――果たして、いつまで持つか。
 祈るように目を閉じた私に、申し訳なさそうな女将の声がかぶさった。

「ごめんなさい。これ以上、貴方のためになる話、私から聞かせてあげられそうにないわ」
「いえ……すみません。変なお話を聞かせてしまいましたね」
「私が聞きたいと言ったんだもの。気にしないで」

 女将は朗らかに笑った。
 背後で女将の名を呼ぶ声が聞こえた。ふと手を引っくり返し、ピンクの革の先についた文字盤を見やる。此処に来てから短針が一刻み以上、経っている!

「す、す、す、すみません、お時間を取らせてしまいまして」
「いいの、いいの。貴方のお陰でサボる大義名分ができたのだから。忙しさにかまけて右往左往しなくて済んだわ」

 私も後の用事が詰まっている。
 人の良い女将に会釈を返し何度も何度もお辞儀をすると、くるりとターン。長時間、立ちっ放しで話を聞いていたものの、スムーズなスタートダッシュを切れた。
 これが刑事になりたての頃は下ろしたてのパンプス相手に踵ズレをおこしたり、高すぎるヒールがぬかるんだ土に嵌って盛大にずっこけたり。知られてはよく「これだから若いヤツはぁ!」と父に叱られたものだ。

「あ、菜々子ちゃん」

 突然の名前呼びに、ドキンと心臓が跳ねる。父以外、久しくその名を呼ばれていない。あれ、私、女将さんに名乗ったのは苗字だけの筈なのに。

「そうだね、もうあれから二十年も経つんだもの。忘れて当然。私も苗字を聞くまで分からなかったもの」

 そう言って天城屋旅館の女将――赤い和服がよく似合う女将は、艶やかな長い黒髪を夕焼けに染め、いたずらっぽく笑った。



 私はその足で、ある施設を訪れていた。

「ユウくん、ヒナタちゃーん」

 おーい、と手を伸ばし振ると、まず反応したのは毛先がぴょんぴょんと跳ねた茶髪っこのヒナタちゃん。

「あ、ななこねぇちゃんだっ!! ユウっ、ななこおねーちゃんが来たぞっ!!」
「!!」

 ヒナタちゃんに突かれ、木にへばりついていた蝉の抜け殻を熱心に見つめていたユウくんの銀灰色の触角と小さな背中がピクンと反応。ヒナタちゃんを伴い、猛ダッシュでこちらに駆けつけ次の瞬間には、私の足に顔を埋めていた。くうううううぅ、可愛い。

「二人とも、いい子にしてた?」
「もっちろん!」

 元気よくヒナタちゃんが答える。ユウくんは答えないが、コクコクと頷いていた。あまりの可愛さに銀灰色の頭をなでなで。あぁ、本当の弟みたいで凄くいとおしい。
 ユウくんとヒナタちゃん。行方不明になっている二人の――私のお兄ちゃんと、お兄ちゃんの親友である陽介お兄ちゃんの子供だ。どちらも父親似で、本人達でさえ驚く程の生き写しだと行方不明になる前に零していた。
 ユウくんとヒナタちゃんはそれぞれ、同じ施設に預けられていた。母親達があの状態だからだ。前後不覚となり、子供にさえ虐待をし始めたため、児童相談所が早々に保護した。
 ユウくんもヒナタちゃんも、早くおうちに帰りたいだろうに。快活でいじらしい姿に胸がきゅうっと締め付けられる。

「きょうもそうさ?」
「そう、そうさしてたの」
「ふぅーん」

 此処に私が訪れた際、スーツのズボンにクリクリしまくるユウくんお決まりの恒例儀式は本人の満足のいくままに終えたようで、ぷはっと顔が離れた。屈み、視線を合わせながら話す。
 この子達はあまり実感がないようで「哀しい」とか「寂しい」とか「早くおうちに帰りたい」とか口にすることは無かった。だが、それも幼いからだ。成長すれば自ずと分かってしまう。何とか、それまでには。

「絶対に、菜々子おねえちゃんがユウくんとヒナタちゃんのパパを探し出してあげるからね!」

 ここまで長期化するとは思われていなかった行方不明事件。まさか迷宮入りすると思われなかった事件。
 無意識にパパを思い出させちゃいけない、口にしてはいけないと思っていたのかもしれない。この時になって漸く、私はユウくんとヒナタちゃんに『そう』言ってしまったのだ。
 そう、言ってしまったのだ。あの言葉を引き出す呼び水となる言葉を。

 ユウくんとヒナタちゃんは、不思議そうに首を傾げてこう言った。

「探さなくていいよ」

 私は己の耳を疑った。

「……え、なんで?」

 最初は子供ながら、私を気遣っての言葉だと思っていたがとんだ浅はかな間違いだった。ユウくんとヒナタちゃんは繋いだ手をそのままに言い合った。

「その方がしあわせなの」
「ぱぱたち、しあわせなの。だから、じゃましちゃだめ」

 暑さから来るものでない不自然な汗の粒が、ゆっくりと首筋を伝う。
 滅多に言葉を口にしないユウくんがはっきりと断言したことも衝撃的だった。

「なんで、そんなの……おかしいよ。だって、ユウくんとヒナタちゃんはパパとママが大好きでしょ? 同じおうちで、一緒に暮して、御飯食べて、遊んで――」
「いいの」

 ヒナタちゃんがきっぱりと言葉を遮る。

「とーちゃんもかーちゃんもすき」
「おれもぱぱとまま、すき」

 だけどね。
 ユウくんとヒナタちゃんの言葉が重なる。
 生ぬるい風が髪をさらう。私は無意識の内に、耳を塞いで頭を横に振っていた。心の中で止めて止めて止めてと叫んでいた。けど、ユウくんとヒナタちゃんの言葉は止まらない。

「オレ、ユウがいちばんだーいすき」
「おれもヒナタがいちばんすき」

 とーちゃんとかーちゃんが居なくても、
 ぱぱとままが居なくても、

「ユウといっしょにいられればいい」
「ヒナタとずっといっしょにいられれば、いい」

 目を合わせて「ねーっ」と言い合う二人。その間も、繋がれた指先が外されることはない。生き写しの二人が笑う。ユウくんとヒナタちゃんが――違う、お兄ちゃんと陽介お兄ちゃんが。
 この一年間、何処に行っても、誰に尋ねても、同じ言葉しか返ってこなかった。その言葉達がリフレインして私の身体の中を駆け巡り、毒のように蝕み、木霊す。

 いつも手を繋いでね、
 肩を寄り添い合って、
 何をしても楽しそうにしているの。
 見ているこっちがほっこりした気持ちになってね。

 近くの木に止まった蝉の声が、誇大して聞こえる。濁音がつくように不気味に耳の奥に響く。

 今、私の目の前に居るのは誰なの? ユウくんとヒナタちゃんじゃないの?
 お兄ちゃんなの? 陽介お兄ちゃんなの?

 夏の蜃気楼が――私をじわりじわりと焼き尽くすように、喉元を締め上げ、苦しめる。二人の笑顔は崩れない。じりじり、と。むず痒さを覚え、喉元に爪を立てる。無性に掻き毟りたい衝動に駆られた。

 私は初めて。
 ニコニコと笑う二人の無邪気な笑顔が、怖くて怖くて仕方がなかった。






***


※怪談編のネタバラシ/やっぱり薄暗い/主花パート










 先に逃げたのは陽介の方だった。

「もう終りにしよう」

 親の言う相手と見合いした。何度か交際を重ねた。その人と結婚する。
 そう言い残して、アイツは俺の前から立ち去った。散々、俺のことを持ち上げ、特別だといい、大好きだと熱く囁いていたくせに。傷跡を残すだけ残して、穢すだけ穢して、もう必要ないと俺の前からさっさと消えた。卑怯なヤツだと思った。
 一方的に宣告され腹は立ったが、未練がましくメールも送った。電話もした。返事は一向に返ってこなかった。いつしか、途絶えたことを知らせる文章とメッセージしか流れなくなった。仕事の研修を兼ねて、海外へ経ったと誰か越しに聞いた。全然、何も納得できないまま別れを突きつけられた俺は。生きる屍のように残りの人生を過ごすことを余儀なくされた。

 陽介のアルカナは『魔術師』
 まさに言葉の通り、俺は巧みな技で懐柔され、あざむかれた。
 裏切られたのだと、この時になってやっと理解した。
 俺との関係が後ろめたかった。そういうことだったのだろう。

 どうせだから陽介と同じようにしてみるかと親の言う相手と見合いして、付き合って、それなりだったから結婚した。一年後に子供も出来た。産まれた子は俺に瓜二つ。おんなじ判子かと思うくらいよく似ていて、可愛いようで可愛くなかった。
 補足する。ここで可愛いと言ってしまったら俺は俺自身を可愛いと言っているようなもの、ナルシストになってしまう。断じてそんなことはない。だが、やはり子供は可愛い。いや、俺は可愛くないぞ。まぁ、とにかくそういうことだ。

 盆の頃、仕事があると言っていた妻を残し、俺は子供と共に実家――正確には第二の実家だ――の八十稲羽に帰省した。叔父さんは勿論、叔父さんと同じ職に就いた菜々子の顔を久しぶりに見たかった。

「ななこおねえちゃん?」
「そう、菜々子は超絶に可愛いぞ」

 送られてきた初々しいスーツの立ち姿は新鮮そのものだった。添えられていた小さなピースもまたいい。セーラー服も似合っていたが、スーツ姿もとてもよく似合っていた。流石、俺自慢の妹。
 いつも胸に忍ばせている写真を見せながら「菜々子は俺の永遠の嫁だ。惚れるなよ」と言い聞かせると、可愛くない息子は「同じ遺伝子だから自信がないな」と憎まれ口を聞いた。このマセガキが、お前に菜々子の麗しさが理解できると言うのか。
 くだらない親子の話に花を咲かせ、自販機の前でジュースを買おうと酒屋の前まで来た辺りだった。

「あっ」

 小さな悲鳴と共に、大通りを走っていたバイクから麦藁帽子が飛んできて、俺自慢の可愛くない息子の頭にすっぽりとかぶさった。バイクはブレーキを踏んだようだが、それなりにスピードが出ていたようで先の方に止まり、ヘルメットをかぶったまま運転手の方が慌てていた。どうやら、連れの方がこちらの帽子を誤って飛ばしてしまったようだ。

「まえがみえない、ぱぱ」
「だろうな」

 超絶冷静な息子の頭から帽子を取ってやる。汚い字で『ヒナタ』と書かれていた。字はともかく、いい名前だ。やがて、ちっこいのを伴ったヘルメット運転手がこちらに走ってきた。タンデムベルト片手にヘルメットを脱ぐ。その時だった。心臓がドクンと一度、強く高鳴ったのは。

「……陽介?」
「…………お、まえは」

 走りながらヘルメットを脱ぎ、すみませんと爽やかに声をかけてきたのは花村陽介――十三年前に俺をこっぴどい振り方をした男、その人で。
 俺は声を失う。陽介も同じようだった。

「とーちゃん?」
「ぱぱ?」

 心配そうにこちらを見上げる互いの子供の声だけが、車の騒音に掻き消されることなく、俺達の耳にしっかりと届いていた。

 戸惑いながらも聞くと、陽介も久しぶりに実家に帰省しているとのことだった。しばらくこの町に滞在するらしい。それ以上、互いのことに干渉することはしなかった。連絡先も交換することなく、その日は別れた。
 それ以上、出会うことが無ければ良かった。だが、稲羽市は娯楽少なく一時間もあればバイクでくるりと一周出来てしまうほど狭い町だ。俺達は何度と無くバッタリと出くわした。ジュネスの菓子売り場で、フードコートで、商店街の四六商店の前で、鮫川のほとりで。
 気まずかった。けど、予定を変えてまで自分からこの町を去ることはしなかった。逃げるような気がしたのだ。イヤならまた陽介の方から逃げる。そう思っていた。
 それが全ての間違いであり、全ての引き金になってしまった。

 朝からユウの姿が無いなと言うと、菜々子が虫網を持って何処かに出かけていったよと洗濯物を竿に干しながら笑った。
「昔、私が使っていた麦藁帽子を被せておいたから。女の子と間違えないようにね、お兄ちゃん」
「分かったよ。有難う、菜々子」
「どういたしまして」
 あの頃より幾分も長くなった髪の毛。緩くわけ、二つに束ねた黒髪がふわりと揺れる。菜々子は叔父さんの――遼太郎の意思を継いで、刑事となった。俺が高二の時に起きた連続殺人事件の真なる解明を目指して。真犯人は検挙され、刑も決まったものの今だ不可解な点が多すぎると叔父さんは一人、調査を続けていたのだ。
 そもそもあの事件はペルソナ能力、テレビに入れるという超常性なしに語れない。だが、叔父さんはこれ以上、俺達を巻き込みたくなかったのだろう。いちばん真実の近くに迫った俺達に、あの事件について触れることは一度としてなかった。
 こちらから話を伺うことはしなかったが、菜々子が意思を継いだ時点で未だ叔父さんはあの事件の全てを納得できるまで調べつくせていないのだろう。それでも菜々子が刑事になることについては最後まで反対していたようだ。最終的には何を言っても頑なに首を振らず「お父さんがうんって言うまで帰らない!!」と荷物をまとめて、家を出て行ってしまった菜々子の意思の強さに根負けしたようだ。母親譲りの気の強さだよ、ありゃと酒の入った叔父さんが後に嘆いていた。菜々子、恐るべし。

 辰姫神社に足を踏み入れる。
 虫を取れるところと言ったらここしか思い当たらない。だが、大変可愛らしいピンクのリボンをつけた麦藁帽子をかぶった我が息子の姿は見当たらない。俺ほどの手だれでもなかなか捕獲できぬゲンジカブトをもとめて、裏手に回ったか。
 真夏の太陽に輝かしく光る神社を見上げる。久しぶりに来たのだ。キツネへの挨拶代わりに参拝をと賽銭箱前へ歩みを進めたところ。いらぬ人物を見つけてしまった。
「……何で此処に居るんだよ」
「それはこっちの台詞だ」
 陽介だった。
「チビが居ないんだよ」
「奇遇だな、うちもだ」
「……」
「……」
 互いに開いていた小銭入れを無言で閉じ、言わずとも俺が右に、陽介が左に別れる。なのに馬鹿のもの一つ覚えでどちらも裏手に回るのだから話にならない。俺達は何をしているのだ。いや、そうまでしてでも一刻の時を共有していたくないのか。
 見事な金箔張りに改築された神社――キツネが次々と出した難題をそつなくクリアした俺のお陰だ――の側面を通り過ぎ、裏手に回ると探していた麦藁帽子姿があった。やはり、此処に居たか。だが、声をかけようとした指先は止まる。

『同じ遺伝子だから自信がないな』

 ユウのあの言葉がフラッシュバックする。
 失念していた。この言葉が菜々子以上にかかる人物がこの町に居たことに。
 驚いたのは俺だけじゃなかった。反対側から裏手に回っていた陽介だった。真正面に見えた陽介の顔色が汗ばみ赤がみかかったものから、さっと青白いものへと変わった。

「何してんだよっ!!」

 先に動いたのは陽介だった。ピンクのリボンをあしらった麦藁帽子と青いリボンをあしらった麦藁帽子のツバが離れる。ユウとぺったりくっついていたヒナタを引き剥がしたのだ。一瞬の出来事に驚いたヒナタだったが次の瞬間、火がついたように泣きじゃくった。

「帰るぞっ! アイツとはもう遊ぶなって言っただろっ!!」

 この言い様にムッと来たのは俺の方だった。

「子供相手に言いすぎじゃないか」
「煩いっ!! お前には関係ないだろっ!?」
「関係ない、だと?」

 ギリッと歯を噛む。
 売り言葉に買い言葉が抑えられなかった。

「先に仕掛けたのはそっちだろうがっ!」

 覚えていない、見ていなかったとは言わせないぞ、陽介。俺にも、ユウにも――先にキス仕掛けたのはそっちじゃないかっ!
 俺は見た。きょとんとするユウに、笑顔を浮かべたヒナタがちょんと唇の先に触れたのを。同じように同じ季節、同じ場所で、もう我慢できないって言いながら俺の唇に触れてきたのは誰だ!?
 怒りを煽るように、ミーンミンミンと蝉がせわしなく鳴く。溜まり場に淀み、熱くなった風が止む。顔をこれ以上ないくらいに歪めた陽介は、

「お前はっ、コイツらを俺らの二の舞にしたいのかよっ!!」

 たった一言だけ残して、腕を振り払う仕草をした陽介は、泣きじゃくるヒナタを片手に逃げるように立ち去っていった。

 まさか。それが『花村陽介』としての最期の言葉になるなんて、誰が信じるだろうか。
 次に陽介に会ったのは、病院のベッドの上だった。あの後、陽介はヒナタと共に大通りでバイクで走っている最中に、トラックとの接触事故を起こした。幸い、ヒナタは突っ込んだ先の植木がクッションとなり、軽症で済んだ。だが、陽介は――。

「とーちゃん……」

 両目から途切れることの無い涙を必死に拭いながら陽介の名を呼ぶヒナタ。ユウはそんなヒナタの隣にずっと寄り添い、離れない。ユウの髪を撫で、そっとしておいた。心電図のピコン、ピコンという音だけが外界から遮断された静かな病室に流れる。
 この三日間、意識が戻っていない。頭を強く打ち付けたショックなのではと医師は意見を述べた。山は越えたが、もしかしたら障害が残るかもしれない、とも。

「起きて、起きてよ」

 何度と言った言葉をヒナタが繰り返す。
 すると初めてぴくっと指先が反応した。

「とーちゃんっ!?」
「陽介っ!」

 答えるように瞼が痙攣し、閉じられたままだった鳶色の瞳が開く。焦点の合わないぼぅっとしたままの虚ろな瞳がヒナタではなく、俺を捉えた。

「相棒……?」
「……心配かけさせやがって、馬鹿」
「此処は?」
「事故に合ったんだよ、覚えていないのか? ほら、ヒナタも居るぞ」
「ヒナタ……?」

 父親が意識を取り戻し、ぱぁっと明るい笑顔を見せたヒナタが陽介の顔を覗きこむ。だが、陽介は信じられない言葉を口にした。

「ヒナタって……だれ?」

 空気が音をたてて、凍りつく。

「それに……お前、随分、老けたみてぇ…………どうしちまったの?」

 俺はヒナタの耳を塞いだ。
 瞬時に理解してしまったのだ。此処にいるのはもうヒナタのとーちゃんである『花村陽介』じゃない。たぶん、恐らく、いや、絶対とも言うべきなのか。俺だけが知る陽介だった。
 近くで事態を見守っていたユウを呼んで、ヒナタと共に病室の外に居るよう言付け、退室させる。

「陽介……本当に、何も覚えていない?」
「覚えていないも何も……明日、お前、都内に帰っちまう日じゃなかったっけ?」

 そこまで巻き戻ってしまったのか。
 空調がさぁさぁと機械的に冷やした風を流す。陽介、お前が言う季節が本当なら、窓を開ければ自然とこんな風が入り込んでくる心地良い時期なんだろうな。
 だが、外を見下ろせばタオルで汗を拭い、団扇で顔を仰ぐ人たちばかり。鮫川にはたくさんの人達が集まっていた。手には薄い和紙を張った四角い竹枠――灯篭流しを行うようだ。魂送りの日、盆が終わる。あぁ、もうそんな時期なのか。

 奇しくも此処は、かつて生田目が使っていた病室だった。あの時と変わらない大きなテレビ画面が窓枠のすぐ横にある。静かに指先を投じる。黒い画面に波紋が投じた。俺は祈るように、静かに瞳を閉じた。
 分かっていたよ、何だかんだ言ったって。俺は陽介の記憶がおかしいと気づいた瞬間、もう此処には居られないと悟った。どうにかして陽介を連れて逃げなくてはならないと考えた。自分達の家族や、子供のことよりも誰よりも何よりも先に――不都合なことをすべてを忘れてしまった陽介のことを優先させた。
 目を開く。頬に雫が伝った。こんなことになるまで気づかないなんて。俺は未だに陽介のことを愛していた。

「陽介」
「ん?」
「行こうか」

 まともではない。
 けど、これしか方法は無い。事故の連絡を聞きつけた陽介の家族が今日の夜に着くと言っていた。それまでに逃げおおせねばなるまい。今の陽介が、今までの陽介のことを知ってしまったら、またどうにかなってしまう。そんなことは絶対にさせない。
 十三年前、やっぱり無理だと逃げてしまった陽介を追いかけることもせず、諦めてしまった俺の罪が此処にある。だが、これは贖罪などではない。俺は病室のドアの向こう側で待ち続けている子供達に「ごめん」とだけ残すと、陽介と二人、テレビ画面の向こう側へ身を投じた。

 原理は分からない。
 だが、死は免れた。陽介と一緒なら死んでもいいかなって思ったけど、憎まれっ子は世にはばかるらしい。俺達は八十稲羽を基点に全国各地、テレビを介してあらゆる場所に行ける力を手にした。

「陽介、次は何処に行きたい?」

 指先を繋いだまま、陽介は元気に答える。

「次は……そうだな、美味しい葛きりが食べてーな」
「食べてばかりだな。だが、名案だな」
「おっし、決まりーっ!」

 射的で落としたクマのぬいぐるみを片手に、陽介は無邪気に笑う。陽介はこの事態に何の疑問も抱いていなかった。一年前、俺が差し述べた手を取った瞬間から、何も言わずに俺の後だけをついてくる。
 ただ、笑顔を浮かべて、楽しそうに、幸せだと呟いて。

 家族が、ヒナタとユウが今、どうしているのか。
 気にならないと言えば、嘘になる。けど、決して会おうとは思っていなかった。会ってはいけないと考えていた。そもそも顔を合わせられる義理もない。俺は子供たちを捨てた。陽介に捨てさせた。その陽介を、誰よりも大事な陽介を守ることで精一杯だった。
 霧がかり、永遠と続く赤いタイルが形成する一本道を歩みながら、偶に現れるシャドウを倒し、俺達は歩む――否、逃げることを止めない。

 八十稲羽の連続殺人事件は終止符を打たれた。
 だが、それでも時折、八十稲羽の町には霧が溢れる。たぶん、俺達がこんなことをし続ける限り、あの町の霧が真の意味で晴れることはないのだろう。一度は失くしてしまった能力を再び手に入れた瞬間、俺は真実から目を遠ざけた。あの時、見つけられなかった真実がそこに隠れていることを知りながら俺は、逃げることを止めない。

 真実を見つけると言いながら、自分達の想いから目を背けてしまった俺達だから。向き合うことをせず、中途半端な気持ちのまま、決着をつけぬまま別れてしまったから招いてしまった事態。未来を破滅に導いた己を決断を――甘んじて受け止めようと思う。そのことで、更なる罪と咎が増えてしまったとしても、だ。

 陽介がまた笑う。何も知らず、無邪気に。
 太陽の恩恵を存分に受け、大輪を裂かせる向日葵のような笑顔を見守る。



 それだけが今の俺に出来る、唯一の死命なのだと信じて。






***


※子供世代による更なる未来/ここまで来るとオリジナル/希望編
※菜々子の「ヒナタちゃん」呼びに引っ掛かった人は読まないこと










 幼い頃からどんな時でも一緒に過ごしてきたユウが、母方の実家に引き取られていったのは中学に入学する前のことだった。無口で引っ込み思案で、何を考えているのか分かりにくいおとなしい性格のユウは特に文句もなく、黙って施設を後にしていった。これからもずっと一緒だと信じていたオレの方が離れたくないと煩く喚いていたと記憶している。

 同じように高校に上がる前、父方の実家に引き取られたオレはとーちゃんが通っていたのと同じ高校――八十神高校に通うこととなった。とーちゃんの代から変わっていない制服に袖を通し、形見であるオレンジのヘッドフォンを肩にかける。

「いってきまーす!」

 今日は始業式。新・二年生の幕開けだった。

「ねぇねぇ、知ってる? このクラスに転入生が入ってくるらしいよ」
「しかもねー、ちょっと私見かけたけど超イケメンだった。何でも都内からの転校生で、超進学校のエリートだとか!」
「けど、何でまたこの時期にエリートがこんな田舎に?」
「さぁ、親の都合かなんかじゃない?」

 机に突っ伏したまま、隣の席の女子が交わす会話を盗み聞き。へぇ、超絶イケメンくんが……ねぇ。ふと、銀灰色の髪と同じ色合いの大きな瞳を持った幼い少年の面影を思い出す。ユウは元気にやっているだろうか。別れる前に交換した連絡先は住所だけで、返事が返ってくることは無かった。

「転校生を紹介する」

 机に顔を突っ伏している内に担任によるホームルームが始まっていた。女子生徒の会話のとおり、転校生の紹介に入る。

「ナルカミ ユウです」

 忘れもしない心地良い声。
 声変わりを果たし、落ち着いた声色になっているものの間違えるものか。それこそガバッと効果音を発しそうな勢いで突っ伏していた机から起き上がると、詰襟の学ランボタンを一つも留めず、清潔な真っ白なワイシャツを前面に覗かせた男――ユウが教壇の横で威風堂々と立っていた。

「ユウっ!」

 クラスの注目が一気にオレに集まる。

「……何だ、ナルカミ。花村と知り合いか?」

 だが、ユウは無表情を保ったまま、ぞんざいに答えた。

「いえ。花村なんて『女子』に知り合いなんて居ません」
「――っ!!」

 すかざす斜め前の女子が手を挙げ「隣空いてます!」と言い、ユウの席がオレの前にある空席に決まる。ユウがその席まで歩き、座るまでの間、一切こちらを見ようとしなかった。

 ハナムラ ヒナタ。
 それがオレの名前だった。昔から活発で、ヤンチャ坊主という言葉が合っていたオレは唾のついた帽子に、Tシャツ、短パンといった動きやすい格好が定番だった。誰もが『男の子』と勘違いしていたに違いない。実際、未だにオレが男だと思ったまま、記憶の中にしまいこんでいるヤツも多いことだろう。
 だが、しかし二次成長期を迎えても伸びない背、いかつくなるどころか丸みを帯びる身体、僅かばかりに膨らんだ胸。男に囲まれて育ったものの間違いなく、オレは女だった。胸元の黄色いリボンを揺らし、チャイムと共に席を立った背中を追いかける。

「おいっ、ユウっ!!」
「なに、花村さん」

 他人行儀のユウの意向構わずに、屋上へと引っ張り出す。プライベートな話をするには格好の場所だ。周囲はまたジュネスちゃん――ジュネスで働くじーちゃんとばーちゃんの孫と言うことで揶揄ってそう呼ばれている――が懲りずにイケメン転校生にちょっかいを出していると侮辱されたが、慣れっこである。それよりもオレはユウと話をしたかった。

「オレだよ、ヒナタだよ、ヒナタ。小学校まで一緒の施設で育った!」
「悪いけど……覚えてない」
「嘘だっ!!」

 目を見て言えよ! と言い、迫るとふいっと目が逸らされる。ほれ、見ろ。嘘をついている証拠だっ!
 元々、おとなしかったユウは嘘をつくこと自体が少なく、その分、必要な嘘をつくのがヘタクソだった。よく馬鹿正直に答えて、クラスの男子連中に苛められていたのをオレが背中に庇ってやり、代わりに退治してやったのだ。
 さらに眼前に迫り、問い詰める。しばし無言のユウ。だが、やがて観念したように溜息をついた。

「嘘。覚えている」
「何で嘘なんか――」
「思い出したくなかったから」

 腹の底が冷えるような、暗く冷たい声色だった。
 幼い頃の零れ落ちんばかりの大きな瞳が偽りだったかのようにシャープに細められた瞳が、オレを見下ろす。

「俺はお前が嫌いだ」
「んだとっ!!」

 カッと頭にきたのもあったし、気に入らなくて、強く手を掴んだ。だが、逆に簡単に手首を捻られ、壁際に叩きつけられたのはオレの方だった。幼い頃、よくそうしていたように至近距離に詰められた距離。けど、囁かれた言葉は刃のように鋭く、残酷なもので。

「母さんが、父さんを殺したお前達が憎いと言っていたよ」
「っ――!!」
「俺はヒナタ、お前に復讐をしに此処に帰ってきたんだ」

 あの頃はオレよりも小さく、弱かったユウが。圧倒的な力の差でオレの手を振り払うと、名残も余韻もなく屋上から立ち去っていった。

 オレとユウの父親は、十年ぐらい前に共に行方不明となった。生きているのか、死んでいるのかさえ分からない。最初の数年間、姿を見たと亡霊騒ぎがあったものの、いつしか行方不明のまま時が過ぎ、やがて失踪宣告がされ戸籍上は死亡扱いとなった。
 どうして共に居なくなったのか。詳細は不明なままだ。だが、よく言われたのは気が触れたうちのとーちゃんが、ユウの父親を道連れに――という説が一番まことしやかに流れたのは事実だった。

 ユウに振り払われ、震える身体を落ち着かせるように抱き締めながら、そんなことはないと強く願う。幼かったからよく覚えていないけれど、とーちゃんは誰よりも温かくって、優しくって、どんなに不利な状況でも、例え証拠があったとしてオレの味方で居てくれた自慢のとーちゃんだった。
 じわっと涙が滲む。折角、己が半身とも言えるユウと会えたのに。あんなに大好きだったユウと再会したのに。心は痛むばかりだ。

 毎日、毎日。
 カレンダーが4月、5月、6月と順繰りに捲れていっても、ユウは授業が終わるとすぐに席を立ち、姿を消すのがすっかり定番となっていた。
 あんなことを言われてもやはりユウのことが気になり、何処に行くの? 何をするの? オレもつれていけ! と金魚のフンよろしくつきまとったが、ユウの方が一枚上手でいつも簡単に撒かれていた。勿論、その間、ユウは一言も喋らない。
「また、撒かれちまった……」
 青いポリバケツにケツを嵌めこみながら悔しがる姿は聊かどころかかなり情けないし、恥ずかしい。うぅ、頭から入り込まなかっただけ、ヨシとしよう。そんなことになればパンツが丸見えだった。

 聞くところによると、ユウはありとあらゆる場所で、ありとあらゆる人と話をしている姿が目撃されている。それこそ小学生の女の子から妙齢の女性、老婆に至るまで。女ばかりじゃん、という突っ込みはさて置き、伴ってとっかえひっかえ女と遊んでいるとの浮いた噂もついてまわっている。そろそろどの女の子を食すか、決めかねている、だとか。やはり、噂は本当なのだろうか。
 何とかポリバケツからケツを出そうとして、もがくがバケツごとバタン・ゴトン・ズドンと見事な三拍子のもと横倒しとなる。あぁ、ご近所様の視線が痛い。身体から生臭い匂いもする。そうですね今日、生ゴミの日でしたね。オチをつけるように頭の側面を結わえたぽんぽんから魚の骨が落ちてくる。
 ふと影が差し、手が差し伸べられた。追いかけ続けてきたユウだった。

「ヒナタ。今日の夜、うちに来て」

 生臭い手足を引っ張り、バケツからオレを助けてくれたユウは紙切れ一枚差し出しながらそう言った。あれだけ前のように名前を呼べ、呼べ、呼んでくれと懇願したにも関わらず、呼んでくれなかった名前。けど、表情は変わらぬままだ。

「誰にもバレないように控えめの私服で来ること。あと制服を忘れずに持ってきて」

 あれだけ人のことを毛嫌い、撒いていたくせに。
 いきなり前に現れたかと思えば、紙切れ一枚と言いたいこと言い残し、さっさと立ち去っていってしまった。うーっ、ユウをそんな無責任な子に育てた覚えはないぞ。オレが育てた訳じゃないけど。
 ユウが言う『うち』は居候先の菜々子お姉さんの家――堂島家のことだろう。とっぷり日も暮れた夜、目立つ茶髪と手足を長袖パーカーのフードと、ストレッチパンツで隠しながら渡された紙切れの住所だけを頼りに堂島家へと急ぐ。
 夜、人目を偲ぶこと、持ってくるよう指示された制服。此処に復讐という言葉を付け加え、与えられた言葉と状況を踏まえると、何をさせられるのか馬鹿なオレでも一目瞭然だった。

「入って」
「……堂島さんと菜々子お姉さんは?」
「二人とも夜勤」

 インターホンを押し、出てきたユウはオレの顔を見るなり、背を向けてそう言った。紙袋を持つ指先に力が入る。顔とかどうでも言いワケね。性別が正しくて、突っ込めりゃいいんだ。じわっと涙が出そうになるが、ぐっと堪える。
 制服の入った紙袋を鳴らしながら玄関へ入ると「二階へ」と促される。ユウの手により玄関の鍵が施錠される音が響く。そんなことをしなくても逃げやしないのに。同じように招かれた二階の部屋の鍵も締められ、いよいよかと覚悟を決める。

「服、脱いで」

 ムードもへったくれもない。抑揚のないユウの言葉がただ機械的に聞こえる。
 まぁ、そっか。オレは大事な女の子のための前座にすぎない。誰でも良かった相手。一番、後腐れなく、面倒じゃないオレを選んだのだろう。復讐も兼ねて。
 言う傍からユウは白のカットソーを脱ぎ捨てる。服の下から現れたのは、あの頃から少しも変わっていない白い肌。灯の暖色に陰影濃く晒される。すっかり、ひ弱というイメージは払拭されて、逞しい身体に――男になっていた。気恥ずかしくて思わず目を逸らす。

「早く」
「あ、あ……うん」

 ユウがバックルに手をかけた辺りで急かされ、意を決してパーカーの裾に手をかけると一気に翻した。流石に生臭いのはちょっと……と急いでシャワーを浴びてきたものだから、一枚しか羽織っていない。いきなりイチゴのブラジャーが姿を現した。
 処女喪失にイチゴかよ。思わず突っ込む。や、ユウにも突っ込まれるんだろうけどさ。相手はオレに気がないものの、ずっと大好きな相手で、決して悪くない話なのだから、こちらだけでもムードを大事に出来れば良かったと思うが後の祭りである。
 哀しむ余韻すら情けなくて、勢いのままにズボンを下ろし、フロントブラジャーのホックに手をかけた時だった。

「遅い。早く着替えろ」
「へっ!?」

 眼前にぽふっと柔らかいものが飛んでくる。嗅ぎ慣れた匂い――オレ自身が持ってきた服だった。顔からずるりと惰性で落ちてきた服を胸元で受け止めると、眼前に現れたのは裸体ではなく八十神高校の夏服を纏った凛々しいストイックな姿。思わず伺ってしまった。

「ヤらないの!?」
「は?」
「え、いや、だって……オレ、てっきり、そういうこと、かと…………」

 一瞬、目を丸くしたユウだったが、すぐに慇懃無礼なそれへと変わった。いや、心なしか怒っている。

「へぇ、ヒナタは男の誰から誘われようと足を簡単に開いちゃうような子なんだ」
「ばっ! ち、ちげぇよっ!」

 お前こそっ! と語尾を荒げると漸く全てを理解したユウが、据わった目のまま平坦に呟く。

「なに、俺がヒナタで筆下ろしでもすると思った? 馬鹿馬鹿しい。歴代の将軍様じゃあるまいし、何より品行方正な俺に対して最大の侮辱だな」
「なっ!」
「それに――」

 本当に興味なさげな目がオレの姿を見下ろし、胸の辺りで止まった。

「――貧乳に、興味はない」

 言われて、ヘナヘナと腰が抜けた。
 何だ、違ったのか。ほっとしたような、残念なような。抱く価値すらないと言われたも当然だ。うっかり涙が零れそうになる。どんな状況下でも、ユウに抱かれるなら、と少しも思わなかったワケじゃない。

「じゃあ……なんで」

 そのまま立ち上がることなく、ノロノロと制服に袖を通す。その間も、ユウはじぃっとこちらを見つめてくる。

「霧もなく、堂島さんと菜々子姉さんが居ない今日がチャンスだと思った」
「え……?」
「テレビの中へ、行こうと思う」

 テレビ……?
 聞きなれない単語を繰り返すように呟くと、ユウは膝立ちに屈み、オレの目をまっすぐに見つめると、ぽつりぽつりと話してくれた。ユウが八十稲羽に来た本当の理由や、各所の聞き込み調査をしていたワケ。皆を――オレすら撒いてまで秘密裏に準備して、計画していたことを。

「此処に来て、分かったよ。此処に――テレビの中に、父さん達は居る」
「! とーちゃんがっ!?」
「間違いない。父さん達はペルソナ能力を有していた。すなわちテレビの中に入る力も。その力があれば行方不明になった理由も、亡霊騒ぎも説明がつく」

 ユウは父親が残していた日記を読んだのだそうだ。そこに全てが記されていた。三十年近く前に此処で起きた連続殺人事件、不思議な力を手に入れたこと、誘拐されテレビに入れられた人たちを助け仲間が増えたこと、模倣犯を捕まえたこと、真犯人を捕まえたこと――そして。

「けど、とーちゃん達はオレ等のことを見捨てたんじゃ」
「違う、あの人たちは偽りの幸せに身を委ねただけだ。ヒナタの父さんが誑かした訳でも、何でもない。俺の父さんが勝手に理由をつけて、ヒナタの父さんを連れて逃げただけなんだ」
「で、でも……」
「幼い頃はちゃんと理解できなくて、それが父さん達の幸せだと思った。けど、大きくなるにつれて……捜査を続ける菜々子姉さんの泣く姿を見て、俺やっと分かった。コソコソと逃げて、二人だけの世界に閉じこもっていることは幸せなことなんかじゃない。世間体や、俺達のことなんて気にしないで、堂々と表に出てこいって。はっきりと皆の前で言ってやればいい。お互いが好きなんだって。それを分からせるために、殴りに行く。探し出して、言ってやるんだ……俺は」

 あの気弱で優しくて、穏やかだったユウが。
 人が変わったように表情なく、尖ってばかりだったユウが――銀灰色の瞳の中に青い炎を灯し、通告する。

「俺たちはアンタ達の二の舞になんかならない! って」
「!」
「俺は逃げない。戦う、真実と向き合う。何があっても俺は、ヒナタを絶対に守る。父さんにも母さんにも邪魔させない。誰が何と言おうと、ヒナタがどんなに嫌がっても俺は――」

 ユウの大きな手が素肌の肩に触れ、力強く掴んで。

「ヒナタ、俺はお前のことが好きだ」

 そんなことを言うものだから、顔がボンッと弾け、飛んでいくかと思った。

「な、な、な、ななななななナンなんだよっ!! 人のことのっけから無視したくせに、花村さん呼ばわりしたくせに、貧乳とか言ったくせにっ!!!」
「それはっ……!! 小さい頃はヒナタに守られてばかりで俺、男のくせに、ずっと情けなくて。中学の時、母さんの所に行ったのだって、強い男になってヒナタを見返してやろうって思ったからで。そしたらヒナタ、すっごく綺麗になってて。それどころか俺が居ない間に他の男共と仲良くなってて、あまつさえ綺麗な手やら足を曝け出して、如何わしい視線でガン見されてんのに気づかなくて、ムカついて。思わず……当たっただけだ」
「分かりにきぃよっ!!」
「煩い。つか、いつまで男の前で下着姿で居るんだよ、早く着ろっ、馬鹿」
 本当に襲われたいのか、イチゴ柄。貧乳だって、揉めばでかくなるらしいしな。

 静かに怒りを露わにし、手をわきわきとさせながら地を這う声を出したユウに弾かれるまま、スカートのチャックをしめる。お互い、恥じらいが残るまま、手渡されたのはオレンジのセルフレーム眼鏡と対のクナイ――とーちゃんが使っていたものと同じだとユウは言った。
 ユウは自身の雰囲気に似た、研ぎ澄まされた刃を持つ日本刀を持っていた。刀身が己の半分以上ある業物をスラリと抜き、刃の煌きを確認した後に紫色の紐がついた柄にスッとスマートに収める姿は――強面だったけど、とーちゃんが大変なことになり泣くことしか出来なかったオレを優しく撫でてくれたユウの父ちゃんの姿を彷彿させるものだった。

 幼い頃、絶対に離さなかった指先を絡め、ぎゅっと握り締める。
 目の前には裕に人がすっぽりと入れてしまう程の液晶大画面。ユウが手の平をかざすと水面のように埋まり、波紋が投じる。

「行こう、ヒナタ――きっと二人とも生きてる。父さん達を助けに行こう」
「うん」

 馴染みの音楽を背後に、隣のユウと視線を合わせ、どちらともなく頷く。ジュネスは書き入れ時を見込み、商戦に向けて配置換えが行われていた。店員が右往左往する中、表に出された黄色い菊の花と淡い青い光りを放つ提灯を背後に、オレ達は決意をする。

 灯篭流しまでに帰ってこれるといいな。
 うん。

 幼い頃のように笑いあいながら、今いちど手を固く結びあい、床を蹴り飛ばす。
 不明瞭な霧を見通す眼鏡をかけ、テレビ画面の中へ――未知の世界へとオレ達は旅立った。








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