「はーい、静かにして。今日はライフプランの作成すっから。ざっくり説明すると、人生設計ってやつよ」
束ねてあったA4サイズの紙で教壇を叩き、皆の注目を集めた我らが担任――鳥海先生が覇気の感じられない様子で扇状に開いたプリントを配ってゆく。前の席から順繰りに回って来たプリントには横に突っ切るように印刷された伸びた長い矢印が印刷されていた。
既に過ぎ去った0歳児を起点に右に向かって突き進んだ矢は右に進み、端っこスレスレでピタリと止まる。終点は分かりやすい三桁の数値だった。この年まで生きられれば大往生と言えるだろう。確か男の平均寿命はこれの4分の3相当ではなかったろうか。端まで生きることは『どうでもいい』スタイルを尽くす自分には無さそうだなと心の内で独りごちる。
「この年で就職してー、結婚してー、家建ててー、子供産んでーとか計画決めてね、ざっくりとした金銭計画を立てさせたり、起こり得る危険……病気とか、不慮の事故ね、を推測させるのがぶっちゃけの本題。授業の一環だからこんなこと言いたかないけど、人生が設計通りいくわきゃないんだから、深く、難しすぎず、考えすぎないでちゃちゃっと作成しちゃいなさい」
眉を潜め、真紅に塗り直したばかりの唇を尖らせた先生は、心底面倒くさそうにそれだけを残すと、教壇の机に突っ伏してしまった。これ以上、生徒に助言をする気はなさそうだ。今日は月一の日なんじゃねと下世話なことを呟いた友近をギロリとひと睨みする元気はあったようだが、それ以上のことはなかった。
余程、家庭科の代理教師を応じたことが不服のようだ。何があったのかは知らないが大方、家庭科の先生に不慮の事故による災難が訪れ、無理矢理、先生にお鉢が回ってきた――そんなところだろう。言葉に恨み節が混じっていた。それに謀らずとも週末のネットゲーム内で真の理由は判明する筈だ。
当校の先生方の気紛れ授業は今に始まったことではない。先生が突っ伏す前に「他人の意見を聞くと、参考になるだろうからグループでやんなさいねぇ」と力のない手振りと共に言い残した言葉通り、何事も無かったかのように少々声を抑えたガヤガヤの中、班編成のためのスムーズな机移動が始まる。
こういう時のグループと言うのは大抵、面子は決まっているものだ。配られたプリントを風にそよそよそよぐのを見るだけで、一ミリも動こうとしなかった物ぐさの自分の前にさえ、いつのまにか自由移動してきた机がピタリとつけられ、班が形成されつつあった。順平と友近である。
重心がピタリと一点に集中し安定したバランスの取れる三角形に対し、机の三つは非常にアンバランスだ。いつもなら決して動こうとしない自分一人がはぶられる形となり、前に机を設置した二人の中心に当たる位置で中途半端な収まり方をしていたのだが――今回は違った。
遠慮がちに隣にピタリと机がつく。見上げると、前髪を数本を残した状態で後ろに流した黒髪の美少年――綾時が頭の後方に手を添えつつ、目を細めてテヘッっと笑っていた。
「僕も入れて貰っていいかな?」
そんなぁ、リョージくん、わたしたちの班に入らないのぉ? と言う女子の甘い声色を背負い込みながらも、了承を取る前からさっさと隣に座った綾時はつい最近、このクラスにやってきた第三の転入生だ。
自ら進んで他人と目を合わせることのない朴念仁な自分とは違い、甘いフェイスと軽い口調で初見の掴みバッチリだった綾時は瞬く間にクラス中――いや、学校中の人気者となった。
「何だよ、リョージくん。羨ましい限りですねぇ」
「女の子だけの班に入るのは流石の僕も……ね。可愛い女の子に囲まれながら勉学に励むのも悪くはないのだけど」
「帰国子女のハンサムボーイは言うことが違うねぇ、このこのっ!」
順平はからかいつつも、綾時が班に入ること自体に異論は無いようで友近共々、机の配置を整えると席につく。
「あなたはダメですっ! どうしても湊さんと同じ班になると言うなら私もっ!!」
「やめなさい、アイギスっ!!」
更なる背後で逆さまにした机を天井に掲げたまま岳羽の羽交い絞めを受けるアイギスの姿が見えた気がしたが、見なかったことにしシャープペンシルを手に取った。
要はこれからの人生において順風満帆な生活を送りたいのなら、きちんと要所要所で必要となる資金を正確に把握せよ。借金苦による家庭崩壊・一家心中・自殺未遂等を起こさぬよう、自身の結婚観や生きがいを熟慮した上での綿密なプランを立てよ、そういうことなのだろう。
「や、そんな重い話……じゃないっしょ?」
順平からすかさず身振り手振りのツッコミが入るが「華麗な手さばきだねぇ」とまったく取り合わない綾時の言葉にもみ消される。綾時は綾時で、綾時らしくトレードマークとも言える今時期に相応しい色合いのマフラーを弄りながら、堅実とは言いがたい軽快なプランを立てていた。
「僕は日々、平々凡々に。穏やかにつつましく楽しく過ごせれば何でもいいなぁ。あとは美しく、可愛い女の子が傍に居てくれたら花丸だなぁ」
「おまえなぁ……全然、控えめじゃねぇ」
「つか、リョージなら妙齢のお姉さまのヒモになればそんな豪遊生活できんじゃね?」
「なるほどぉ、良案だね!」
実に年上大好き友近らしい助言だ。
手ポンする綾時の横で頬杖つきながら、矢印上の4分の3位置に縦線をピッとひく。75歳――大往生で死亡、っと。
「え、綾時。おまえ、年上OKなの!?」
「年齢なんて関係ないよ。それどころか、世界中のレディたちはどの子も美しく可愛い。僕の人生のすべてをかけて、どの子も大切に守ってあげたいよ」
「これでレディーキラーとか許しがたい事実だな。なぁ、友近くん――おまえなんか何股かした末に、後ろから女に刺されて死んでしまえっ!!」
「あぁ、許しがたい事実だな。順平くん――そのままコンクリート詰めにされて、東京湾に沈められてしまえっ!!」
「ははっ、僕のライフプランを代わりに考えてくれてありがとー。でも、それは不採用だなぁ〜」
順平と友近がタッグを組み、綾時を攻めるが当人は歯牙にもかけない。カラカラと笑っている。
まったく参考にならない意見をスルーしつつ、黙々と数年後の計画を記載しようとして……シャープペンの芯が空で止まる。想像して――思わず、唸るしかなかったのだ。
「どうしたの? 筆が進まないようだけど」
俺たちはいつまでも心の友でいよーぜ、な友近? なぁ、順平! ……ってお前、最近、彼女出来たって浮かれたじゃねーか! この裏切り者ぉっ! お前だって一時期、浮かれまくっていただろうがっ! と、即時決壊した友情ごっこの末に互いの頬をつねり合い始めた喧しい二人をよそに、涼しい顔をした綾時がこちらを覗きこんでくる。
髪をオールバックにすることで晒けだされた端正な顔立ち。タレ目がちな瞳に沿うように落ちた眉は、引き締まった輪郭を柔和に見せる。ここまで来ると右目下にある泣き黒子は最早、女の子の心を鷲づかみにし、きゅんとさせるポイントでしかない。
生憎、女の子ではないのできゅんとはしない。が、綾時は自分の中の何かを擽る存在だった。肌の上を羽毛でなぞるような、そんな感じ。正体を掴もうとすると、霧のように消えていってしまうむず痒さを何度となく感じていた。手持ち無沙汰にシャープペンをプリントから戻し、指先で回す。
悪いやつじゃ、ないのだけど。
「いや……ちょっと、色々と想像してみたんだけど…………」
「こーいう時の班編成なんじゃないか。僕が居る、相談してごらん。忌憚ない意見を述べようじゃないか」
「……参考になるとは思えない」
「つれないことを言わないで、さぁっ!」
瞳をきらきらとさせ、全てを受け止めてあげるよとばかりに手を広げ、引こうとしない綾時に若干、こちらは引きつつも正体の掴めないわだかまりを吐き出すように溜息をつく。
悪いやつじゃ、ないのだ。
「色々と将来を見据えて……数年後を想像してみたのだけど」
「うんうん」
「……大学には入る、と思う。これは、成績も申し分ないから問題ない」
あ、それ自分で言っちゃうんだと外野から野次が入ったようだが気にしない。
「……ただ、就職した後が問題で。どの職業に就いても将来を安泰に暮せる程の資金の目処がつかない」
言いながら、想像する。
だって彼女はひとたび噴水を見れば常に持ち歩いている大量の硬貨を湯水のように使うし、七店以上ハシゴしても破綻しない自分以上の大食漢だ。食費も嵩むことだろう。と、言うかあの細い身体の何処に小銭を隠し持ち、食べ物が入り込んでゆくのか。不思議でならない。出るところは出ているが、締まるべきところはきゅっと締まっているし。四次元な身体とでも言うのだろうか。
職業だって自称・エレベータガールだ。しかも異世界の。イゴールから給料を貰っているかも不明瞭だし、もしかしたらボランティアかもしれない。いやいや、いつも人の財布からあんだけボッタくっていくのだから資金は潤沢の筈だ。
だが、万が一のことを考えておくべきだ。と、すると永久専業主婦となることも考慮せねばならない。そもそも住民票を持たない彼女と籍を入れることはできるのか? いや、まぁ、いい。そこは置いておこう。
だが、専業主婦? 家事育児をするのだろうか。育児はともかく、料理のためならば狩猟から始める手の込みようだ。だが、コンロの火をジャックランタンのアギで点火しようとして、壁を燃やしてしまった前科もある。きっと調理器具を壊すことは日常茶飯事。しかも、その割りに料理の味は……食べたことはないが、聞く限りだと想像に難くない。
加えて誰にも止めようがない程の傍若無人っぷりだ。きっと、手始めに追加オーダーでジャックフロストをプラス三匹と言われ、次いですべり台が欲しいと駄々をこねられるだろう。あと確実に尻に敷かれる。その上、何が起きるかまったく想像できない。あぁ、偏頭痛がしてきた。
「「……」」
気がつくと、友近と順平が表現しがたい微妙な面持ちでこちらを見つめていた。
マズい。声に出ていただろうか。だが、そういう問題でも無かったようだ。
「……つか、お前。一言以上話せたんだな」
「あぁ、ちょっと吃驚した。意外と饒舌なんだな。感情が感じられない、ちっさい声だったけど」
内容が完全に聞き取られていたかどうかは分からない。だが、いつの間にか背後にまわり両脇に立った友近と順平に片肩ずつ肩ポンされる。どういうことだ。
相変わらず、横でニコニコしている綾時にとりあえず最後の疑問をぶつけてみることにした。
「このままだと人生破綻しかねないんだけど……どうしたらいいかな?」
とりあえず聞こえていた前提で話を進めてみた。
綾時は「う〜ん」としばし悩む様子は見せたものの、結論は早かった。
「そうだなぁ。とりあえず念のために聞くけど……そこまで具体的なプランを立てられるほど親しい相手――生涯を共にしようと思っている人、変える気無いよね?」
脳裏に焼きついた太陽の下で天真爛漫に笑った彼女――エリザベスの笑顔に、自然と「ない」と即答していた。だよねーと綾時が朗らかに笑う。
「それは……もう、うん。手遅れだと思うよ」
「手遅れ……?」
「うん、手遅れ」
両肩の重みがズシリと加算される。
綾時のように「んー」と声に出して逡巡して、あぁ、確かに既に手遅れのようだと悟った。
窓の外で色づいたイチョウの葉がハラリと落ちた、そんな秋の一ページ。
***
※おまけ
「祖父が犯した罪は私の罪、桐条グループ全体の罪だと思っている」
「はぁ……」
「あたって、私が正式にグループの座を引き継いだ暁には非公式の警備部門を設立したいと考えている。キミさえ良ければ、その遊撃部隊のリーダーの役職を任せてもいい――勿論、見合った賃金は用意する」
「はぁ……」
何処から話が漏れたのか早速、桐条グループへの勧誘を受けた。唐突ではあるものの、悪い話ではない。
破綻したままだったライフプランに追記し、検討してみようか。
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