めずらしくズボンから片方だけ、手が出ていた。視界が霞み、意図的に視線を落とさずとも他人と目が合うことがない。形の無い雨が降っていた。シトシトの霧雨がアスファルトを音なく濡らしてゆく。
 霧雨は厄介だ。きちんと傘を差さないとすぐに濡れてしまう。大衆に混じるクリアな帆を差し、目的地へと歩く。びちゃんと水溜りを跳ねる足音を幾つも避ける。自身の歩みで裾を汚すことは有り得ない。乱暴な歩き方をする程、生き急ぐ必要は無かった。

 細雨が銀幕を作り出す世界でも、変わらず淡い青い光を放つ扉の前に立つ。つい至近は人が頻繁に行き交うショッピングモールだと言うのに、此処はいつも人気が恐ろしい程にない。不思議な力にでも守られているのだろうか。
 ふと気づき、帆を頭の上から退ける。まばらな雲間が見え、雨は止んでいた。

 自分にしか見えない扉の中で所要を済ませた途端、図書館に行きたいと言われた。本当に唐突だった。知識の海に埋没したい気分なのだそうだ。頭の中のスケジュール帳を開く。真っ白だった。

「分かった」

 特に用事もなかったので了承した。
 伴って扉から出ると、立てかけておいた傘を片手に歩き出す。

「それは新たな武器ですか?」
「違う」

 しぼめた帆の部分が星の形に見えるだの、何かスイッチがあります、是非押したいと存じますだの煩かったので、簡単に使用の仕方を教えてから帆を開いてやると、嫌味を全てスルーして無邪気に喜んだ。

「人の優れた英知を以ってしても天気を操ることは難しいのですね」

 その点に関しては完全同意する。
 しぼめた傘からは水滴が滴り落ち、乾きかけたアスファルトに道しるべを残していた。

 趣のある図書館だった。天井から床、本棚に至るまで下地の木目を基調とした建築材が使用されており、歴史が味わい深い色となり刻まれていた。天井を支える柱も幹の太い立派なもので、どっしりとしており、安心感がある。需要を見込んで乱立された安価なハウスメーカー製とは訳が違う。
 熟練の匠が作り上げた逸品のひとつでもある、二階立ての木造建築だった。階と階は、海の砂浜に落ちた巻貝のような螺旋階段で繋がっている。十年前の記憶から唯一、変わっていない貴重な風景でもあった。

 利用者は少ない。いつもなら休館日である曜日なのに、明日が臨時休館とのことで振替で開館しているせいだ、とすれ違い際に誰かが零していた。連れは常識的な目で見れば風変わりな格好をしている、風変わりな子。案内人である自分としては好都合だった。

 釘を使わず継ぎ手だけで柱に括りつけられた看板、焦げ色で焼印されたインデックス、天井と一体感のある書架に敷き詰められた知性の結集、カウンター前の大きな吹き抜けと、天窓から降り注ぐ光の雨。
 連れは案内する間もなく、ひとしきり一人で感動して、お供の分厚い魔術書を大事に大事に胸に抱えたまま、奥へとふらふら歩いていってしまった。
 自分は果たして必要なのか。甚だしく疑問に感じたが、此処まできて何もせずに帰るのも癪だったし、かと言って此処に私用の用事も無かったので、意外と早足の連れの背中を小走りで追うことにした。

 その連れがあっちへ行ったり、こっちへ行ったり、本棚の間をふらふらするのを眺める。やっと立ち止まったかと思えば、爪先立ちのもどかしい状態で必死に指先を伸ばし、本を引っ掛けようとしていた。あと数センチ、が足りないようだ。いわゆる「あと、もうちょっと」状態。
 蒼色の指がピンとはる。いつもなら黙って静観しているところだったが、連れはノースリーブのワンピース。年頃の女の子が脇の下を曝け出し続けるのも如何なものかと連れの背に回った。

 連れより僅かだが大きい。僅かな差が悠々と指に背表紙をかけさせる。本棚から斜めにポコンと引き出された、からし色のハードカバー。手の平で受け止め、連れに渡す。それで終る筈だった。

 ぐらりと世界が廻る。眩暈かと判断に迷ったが、違う。自然現象のちょっと大きいやつ。本棚の背表紙たちが一斉に波うち、踊りだす。これは大きい。指先の本どころでは無くなった。

「地脈を操るペルソナは私、お目にかかったことがございません!」

 世界そのものを揺るがす自然現象をそう経験したことの無い連れが、ズレた論点で興奮している。

「クエイクかますペルソナは自分も知らない」

 それに付き合う自分も大概だ。
 そんなこんなしている内に、館まるごと引っくり返すような大きな揺れがきた。本棚の上を踊っていた背表紙がそこだけでは飽き足らず、幾つか空中に飛び出してくる。黙っておとなしくページを閉じてれば良いものを、自己主張さえ始めてしまっているものさえある。
 薄っぺらい一枚きりの紙でさえ、肌を切る鋭利な凶器となりうるのに、そんなんが束となってまとめて襲ってくる。大量の紙は鈍器でしかない。こんな時でさえ、はしゃぎだしかねない連れを何とか下に屈ませ、自分は一番、露出していない腕で頭を守り、背を丸めた。館と言う大きな船を大層、揺らしてくれた衝撃は少しずつ鳴りを潜めていく。思い出したかのように最後の一振りで落ちてきた本が背中にゴツンと良い音をたてて、当たった。
 いつもなら、痛いと感じていただろう。だが、現状がそれを許してくれなかった。

「……」
「……」

 どうやら連れまで通常営業終了してしまったようだ。しばし無言で見つめ合う――と表現して良いものか。連れとの関係はじっと見つめ合う程、親密なものではない。身も蓋も無いことを言ってしまえば営利目的にも近い。

 だが、その営利目的も――連れの上に自分が覆い被さる形で、連れの手を地に縫いつけるシチュエーションに陥れば、流石に双方、動揺するのではないだろうか。

 紅葉に色付く葉のように落ち着いた深い色合いのハードカバーに囲まれ、散りばめられた薄銀色の髪が丁度、真上にあった天窓から差し込む明るさに応えるように光る。帽子がコロンと微かな音をたてて、床に転がり落ちたが、現状を転換させる切っ掛けとはならなかった。





 人間が嫌いだ。特に女という生き物には心底、辟易している。
 最初に出会った近しい女が、母親だったせいだろうか。自分を囲ってきた女はどれも風上におけない人達ばかりだった。彼女達にとって一番の不幸は、比較対象元である母親が既にこの世に居ない、という点だろうか。母親は自分の中でも、親類の中でも神聖化した存在だった。死者に口が無いように、余程の恨みでも持たれない限り、生者が死者を冒涜するようなことはしない。人の記憶も夢見る不確かなもので、曖昧な記憶は幸せな記憶にすり替わる。
 ただ、そうだったとしても。多少の誤差は認めるが、少なくとも母親は歴代の悪女でも、性悪な性格でもなく、一般的な世間人だった。

 両親が事故死し、最初に自分を引き取ったのは母親方の姉夫婦だった。母には姉が二人居た。母は三姉妹の末っ子だった。どちらも子供が居ない夫婦だった。どちらも肩身の狭い思いをしてきた。そこに親近の自分と言う存在。しかも祖父母にも大変、好かれ、可愛がられていた待望の男の子だった。
 いわゆる甥っ子の立場である自分は、彼女達にとって価値のあるものだと判断された。故にどちらが引き取るかで論争が始まった。親の遺産どころか、親の親の遺産まで引き継ぐ権利さえ持っていた。なかなかに美味しい子供――物件だった。
 結局、どちらに引き取られたのか、記憶には無い。どちらにも引き取られたかもしれないし、どちらにも引き取られなかったのかもしれない。今となってはどうでもいいことだ。どちらとも何らかの理由で連絡が取れないのだから。

 同じような理由で親戚中を盥まわしにされた。父親方はもっと酷いものだった。父親は一人っ子で、地主の息子だった。より濃密な遺産相続に巻き込まれた。不思議なもので金が動く場所には常に女の姿が在った。
 正妻、愛人、隠し子、そんな単語も飛び交っていたように思う。けれど最後には皆、自分の周りから姿を消した。消息不明である。生きているのか、死んでいるのかさえ知らないし、知ったことではない。
 その間、両親が残してくれた遺産や、両親が死んだ元凶でもある事故元から支払われた見舞金はすべて喰い尽くされた。手元に残ったのは父親が愛用していたMDプレイヤーと一枚のMDディスク、それにイヤホンだけだった。

 唯一、こんな境遇でも身に付いたのは自身を守る術だった。そつなく物事をこなし、出来るだけ他人の目に止まらぬようにする。周囲が騒々しかった分、かなり自身の気配を薄める必要があった。自覚はないが、容姿も人の目を惹きやすい性質だったらしく、何も知らない子にも大分言い寄られたので、わざと前髪を伸ばし、片目と顔を隠した。からかわれても、苛められても対処できるように合気道を習った。喋ることは極力、失くしていった。
 必然と、独りになれる図書館は好きな方だったと思う。
 何処に住んでいても、必ず足を運んでいた。何だかんだ言って、此処――巖戸台の図書館も頻繁に訪れていた。連れに「行きたい」と言われ、了承し、道案内も苦労せずに済んだぐらいだ。
 だからこそ、こんなことになっている。成り行きと言えど、組み敷かれた身体はピクリとも反応を返さない。

「……誘ってるの?」

 一向に退こうとしない連れに、こんなことを言ってしまうぐらいには荒んでいた。相手が岳羽だったなら、頬に猛烈なビンタを頂けていたところだろう。
 不気味なくらいの静寂。元来、図書館と言うものは静けさに溢れる場所だ。大きめの地震が発生したばかりだと言うのに、誰ひとり駆けつけてこようとしない。
 少々規模が大きいものが最近、頻度高く起きているせいか、意識が麻痺しがちなのだ。加えて、大分奥の書架だったことに気づく。案外、先の揺れで本が転げ落ちたのは此処だけかもしれない。本棚が倒れた訳ではないので、盛大な音が鳴った訳でもない。
 よくよく考えれば、先に此処を訪れた際、眼鏡をかけた司書も欠伸を噛み締め、腕を伸ばし、肩を叩きながら外へと出て行った。耳を澄ましても、人の声は聞こえない。人とすれ違ったのはカウンター前の出入り口付近だけ。人が少ないどころか、自分たちしか館内に居ないのかもしれない。
 逸れていた意識が、腕をそっと握る蒼色の指先によって呼び戻された。

「貴方がそう思うのなら、そうなのかもしれません」

 淀みない答えだった。一体、どうして欲しいのだろう。
 今までの女は、何も分かっていない一般庶民の類か、打算的に近づいてきた女狐ばかりで勝手が分からない。前者は容姿につられてが多かったため、少しずつ数が減ったが、後者はとにかく性質が悪いかった。
 金のためなら平気で自分の娘も利用する人も居たし、大胆なことに自ら言い寄ってきた人も居た。最初は吐き気がしたが、今はもう感じる余裕すら無い。それぐらいには麻痺していたし、狂っていた。

「そう思うって……そんな、どうでもいい理由で失っていいものなの?」

 自分はそうじゃない。
 自分はくだらない理由で失いたくなかったから、打算などせず直接交渉しに来いと誰もかれも冷たく突き放した。こんなことしなくても欲しいのならくれてやる。自分以外のものなら好きに持ってゆけばいい。その代わり、自分自身は何があってもやらないと蔑んできた。
 だからこそ、連れの言葉が信じられない。

「ソレ、は必ず、失われるものなのですか? 得ることは出来ないのですか?」

 連れは珍妙なことを言う。

「それに……私は、貴方としか交流を持つ術を持たないしがない案内人です。なら、どんなことにせよ、貴方に求めることしか出来ません」

 苛立ちを覚える。なら、自分以外の人間が客人だったなら、そちらに求めていたということか。だか、苛立ちはすぐに更なる煽りへと変化した。

「それとも、引き返せなくなることに恐怖をお持ちで?」

 止めろ。
 人の下で呆けていたから、揶揄しただけじゃないか。キミだって意趣返ししただけだろう? 腕を掴んでいた滑らかなシルクの指先が、頬をツッとなぞる。情欲的な雰囲気が現実味を帯びてくる。
 止めてくれ――言いたかった。けど、何の見返りも無く、自分を求める連れの意図がまったく掴めない。具体的な対処方法が見つからず、何処に行けばいいのかいいのか指標を失ってしまった自分に、連れは容赦なく、ぐいぐいと踏み込んでくる。

「試し食いして、やみつきになるのは本意ではない、と?」

 薄ピンク色の小振りの唇があざとい形をして、そんなことを囁くものだから。聞きたくない意も込めて、息を奪う勢いで唇を塞いでいた。

 連れは、同じ年頃の女の子だった。ヘアースタイルがショートボブと少しばかり古風な感じだが、こじんまりと行儀よくパーツが揃えられた顔に、スタンダートな凹凸のあるスレンダーな身体。おまけに性格は底抜けに明るいポジティブ思考で、誰からも好かれる美人と表現しても差し支えがない。やや言動がしっちゃかめっちゃかな点を除けば、誘われて飛びつかない男は居ないぐらいに魅力的な子だった。
 ただ、ここまでの子なら、今まで言い寄ってきた女の中にも少なからず居た。最後の枷を外したのは、連れが――異世界の人だと言う点に尽きるのではないだろうか。

 だからって、こんなところで事を起こそうなんて正気の沙汰ではない。けど、先も言ったように自分の感覚は人よりズレ、狂っていた。そして連れもまた、半端なく浮世離れしており、逸脱していた。お互い、最初の相手として後腐れなく、申し分は無かった。そこが上手い具合に合致してしまっただけのこと。

「やみつきになんて、ならない」

 言い聞かせるように呟いているみたいで、悔しかった。

「では、お腹を壊される程度はあるやもしれませんね」
「まさか」

 離れた唇と唇の間を、透明な糸が伝う。ふと思い出したのは、蜘蛛の糸。業に溺れ、深追いしてしまったら、細い糸は切れてしまい助からない。分かっていたのに、プツリと途切れる様を見守ってしまった。後戻りは赦されない。

「口をつけた以上、最後まで残さず召し上がれ」

 クスッと妖艶に笑った薄い唇。冷たい手袋の感触が、唇の形をなぞる。
 乗せられている? 上等じゃないか。
 丁度、口の端まで辿った指先を歯でやんわりと挟み込む。ズッと引きずると、二の腕と同じ、白魚のような指先が眼下に曝け出される。

 もう、誰にも止められなかった。





 雨音が聞こえる。天窓に叩きつけられた雨粒が影となり、ぼんやりと映る。

 ヤったことなんてない。知識は義務教育で習った保健体育のものだけだ。
 何処をどう触れば感じる、濡れる、柔らかくなる。なにひとつ知らない。感覚と、本能だけだった。

 肘に引っ掛かったままのワイシャツが邪魔で仕方ない。縮こまって、腕の自由を奪うだけで、破り捨ててしまいたかった。不規則に、勝手に乱れる呼吸。指に硬質なハードカバーの感触が当たる。たゆたう海から分け与えられる膨大な知識に酔い、魘されるようだった。
 ズボンのポケットに手をのばし、財布を取り出す。偶々、下世話な話になって「期限切れ近いから」と順平に押し付けられた。いらないと言ったのに。ここなら透けて見られることも、跡がついてバレることもないと押し込められたソレを取り出す。
 カチャンと静かな金属音が鳴る。一糸も乱れていなかった下に手をかけた瞬間だった。熱い。自分の身体の何処にこんなにも煮えたぎった熱が閉じ込められていたんだろう。思考は冷めながらも、身体だけが熱くて、どうにかなりそうだったので、さっさと支度した。
 頼りないアテはついている。先までそこに居た指をハードカバーに押し付けると、濃い色がついた。くちゃりと粘着質な音が耳に届く。いや、雨の音だったかもしれない。区別がつかなかった。あぁ、もういいやとどうでもよくなって、当てをつけた場所に熱を穿った。
 侵入した際、薄い膜にあたった。ここまで来て、止められればそいつはとんだインポだ。連れも何も言わなかった。微かに血色が良くなり色付いた唇を、小さく開き、細く息を吐いていた。何も言わないことをイイことに、がっつかない程度に、それでいて性急に、持っていた足に手を添えて、ゆっくりと突き破った。

「――っ!」

 どちらの声だったかは分からない。
 あまりにもキツく絡みついた胎内に、恐ろしく気持ち良さを感じたのと同時に、窮屈さを感じる。

「……き、つい」

 言葉にしてしまうぐらい、息苦しかった。

「それを……どうにか、するのが、貴方の努めでしょう?」

 昨日まで致したことのない男相手に何てことを言う。

「……あまり、要望しないで、くれる?」

 とは言うものの、このままではどちらも辛い。
 苦しくて、繋がったまま酸欠とか洒落にならない。何処かの駆け落ち映画みたいに、現実は綺麗には終われない。汗が滴り落ち、顔の横を流れる。組み敷かれた連れは、耐える表情をしているものの、やはり何も言わない。綺麗なマネキンを相手にしているみたいだった。
 ふと思い立ち、ゆっくりと圧し掛かる。胸板の下で豊満な胸が潰れる感触にまた疼きながらも、耳に口を寄せる。

「…………エリー……、リズ……、リジー……」

 間を置いて、幾つか思い当たる名を呼んでみる。反応は無い。
 だが、怖い顔ばかりしている女を抱くもの程、つまらないものはない。どうせなら、一度きりだと割り切られているのなら――、

「……ベス」

 ――擬似的なものでも愛してみたいと思うのが普通、じゃないだろうか。
 その名を呼んだ途端、締まり方が変化した。ぎゅうがきゅんになった、と言えば分かりやすいだろうか。不覚にも全部、持っていかれかけたが何とか耐える。こんなところで日々の鍛錬で鍛えた忍耐力を使うとか、おかしい。

「……感じた?」

 苦し紛れに言ったら、力無くぺちと頬を叩かれた。力の入れすぎで爪色が青白く変化している。だが、そっぽを向き、もう片方の手で隠された顔は薄紅色に染まっていた。口元も悔しそうに歪んでいる。
 薄っすらと笑みが零れたことに気づかず、頬を叩いた方の冷えきった手を取り、はぁはぁと切れる息の合い間に指を食む。内側からの熱を持て余している身には丁度、良かった。

「ベス」

 嘘でも、ここまで色を孕んだ声を自分でも出せるのだと不思議でならなかった。
 ずるい。キミも、出せばいい。時折、鼻へと零れ落ちる悲鳴を声にして、この粛然たる空気を乱してしまえばいい。

「……ベス、声、出したら?」

 今なら雨音が、すべてを掻き消してくれる。
 愛称を囁くたびにナカが一度、また一度と温かくなり、形を変化させ、自身を柔らかく包み込んでゆく。下に敷いた学生服がしどしどと濡れ、黒ずんでいく様を見つめながら、形を確かめるように、ゆっくりと引き抜いて、またゆっくりと押し込む。じっくりと余韻を楽しみたがったが、律動は自然と早くなっていた。

「も、……イく」

 言葉にした瞬間、きゅうと締まった胎内。一滴残らず注ぎ込むように、吐精していた。脳天を貫くような快楽、心臓がバクバクいっている。銃でイカれた頭をぶち抜くよりも、果てない絶頂を感じた。

 日に焼けた紙と、精液の匂いが混じり、混沌とする。
 後始末しなくちゃ。思うけれど、身体が動かない。おざなりと言えど避妊していたので、熱は全て自分に返って来た。反比例した気持ち悪さが後から襲ってくる。けど、少しだけ休みたい。散々、弄んだ身体の上にゆっくりと倒れこむ。しなだれかかった身体から手が回され、ぎゅっと抱き締められる。何故、そんなことをする。疑問に感じつつも、振り払わない。

 本当に愛されているようだと感じながら、まどろみに溺れた。





 目覚めは最悪だった。

「最悪だ……」

 もう一度、言葉にしてしまうくらい酷いものだった。
 静寂に零れ落ちそうだった溜息を呑み込み、引き寄せた膝頭にゴツンと額を打ち付け、頭を抱える。上半身裸体のまま、気がつけば日が暮れていた。オレンジが闇色に変わる。そんな曖昧な色が見上げた天窓を塗りつぶしていた。下はかろうじて最低限の始末をしてしまってあったのが微々たる救い。だが、本日の連れであり、ベルベットルームの案内人でもあるエリザベスの姿は無かった。
 立つ鳥跡を濁さず、残り香すら感じられない。床に散らばっていた本も元通り書架に戻っており、図書館特有の匂いが風通りの悪い空間の狭間で淀んでいた。かけられていた自身の上着が、バサッと音をたてて床に落ちる。

「ホント、最悪……」

 今日の出来事は悪ノリだったのか、何だったのか。自分でも理解出来ない。
 エリザベスはああは言っていたものの、実際のトコロ、彼女は自由に外の世界に出かけられる。頻度を重ねれば、自分の手を必要とすることなく、探訪することも可能だっただろう。
 相手など選り取り好み、引く手数多なのは火を見るよりも明らかだった。なのに何故、自分を選んだのだ。今更、冷静になってそんなことを考え始める己の浅はかな思考が憎い。一時期の感情と言えど、最悪以外の何者でもなかった。

 こうして独りで残されると彼女が本当に傍に居たのかさえ、疑わしくなる。だが、都合よく夢で済ませられないと物語るのは眼下にある、制服に残った白く乾いた跡。途端に甦る、指先と中心に絡みついた温かく、執拗なもの。ゆっくりと開いた手の平を見下ろし、今は残らないものを舐めようとして悪態をつく。

「……くそっ」

 勘弁してくれ。
 今度、彼女と出会う時、どんな顔をして会いにいけばいい。



 膨大な知識の海に問いかけても、答えが返ってくることはない。








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